何かの都合で、アラン・チューリングのことを考えていた。ご存じない方も多いかもしれないが、コンピュータの教科書には必ず出てくる人で、現在のコンピュータの理論的な基礎を作った方です。
同時にこの方は、第二次世界大戦中、イギリスの諜報機関に所属し、ドイツ軍の暗号解読に力を発揮した。しかし、このプロジェクトは、当然のことながら秘密裏に行われ、長くその業績は知られることはなかった。彼の母親は息子が軍で何をしているか知らなかったが、実は彼の仕事は第二次大戦における連合国の勝利に決定的な役割を果たしていた。歴史にタラレバはないわけだが、誰も彼が果たした役割を果たさなければ、イギリスはヨーロッパでのドイツのUボートとの戦いに負けただろう。外から物資が運び込まれなくなれば、イギリスはドイツに降伏せざるを得なくなりヨーロッパはナチスが支配することになったかもしれない。
彼は同性愛者で、最終的には42歳で自殺したと言われている。
教科書に載っている誰か、難しい業績を成し遂げた人、ということを考えると、偉い人だったんだろう、という考えが思い浮かぶ。コンピュータの教科書にはチューリングマシンについてさらっと記述されていて、その人がどういう人だったのかは書いていない。
だが、彼が恵まれていたのか、幸せだったのかと考えると、素晴らしい才能を神から授かり、大きな業績を残したが、世間一般の尺度からいえば必ずしも幸せとは言い難い人生だった。
40,50になって、どんな人もそうだったのだろうと思う。ある聖人のような人がいて、60歳で死んだということになっているなら、彼の人生は60年もあったのだ。その間、何もない人生などということはありえない。必ず不幸せな一面、罰当たりな一面、何か大きなマイナスの一面というものが存在する。
若いときは、つい自分に都合のいい人を心の中で偶像化する。だが、義人はいないというのが本当なのではないか。
それと同時に、どんなにひどい人生であったとしても、達成すべき何かが達成されたということはあり得るのであり、神という事実に変わりはない。一生を苦闘してきた誰もが同じように讃えられるべきと思う。素晴らしい業績を成し遂げた神に愛される人は、たぶん私たちの隣にいる。