我々の世代の人間、あるいは今の子もそうなのだろうけれども、先の世界大戦、いわゆる太平洋戦争は、してはいけない戦争だった、悲惨さだけが残る戦争だったと習っている。
しかし、いま領土問題などがクローズアップされて、戦争時・戦後日本が周りの国とどのように関係を持ってきたのか、きちんと検証することなしに、次のステップに進めない状況になってきた。
私自身はソウルや北京や台北に行く機会はあったのである。台湾の人はとても親日的だ。単に親日的であるというだけではなく、日本がちゃんとした教育を行ってくれたおかげで、日本語が共通言語になったといってくれる。それまでは原住民である高砂族の間でも共通の言語はなかったのだ。
それのみならず、日本はいわゆる植民地に対して本土と同様のインフラの整備を敷いた。上下水道や鉄道網を作り、上述の学校を作り、台湾や朝鮮で学んだ人々が帝国大学に進学できる制度を作った。こういうことは実はほかの列強はまったくやっておらず、イギリスはインドに教育を施そうとはしなかったし、オランダはインドネシアを無知なまま放っておいた。
そして、私は最近になって、タイやマレーシアやインドネシア、ミャンマー、インドの要人たちが口々に日本の功績をたたえているのを知った。
実際に日本軍が東南アジアに侵攻したしたとき、イギリスやオランダから各地の植民地は初めて解放された。そして、その時にも、日本人は現地を搾取するわけではなく、同様に教育を施し、軍隊を助け、独立を支援した。第二次大戦前に、東アジアには独立国はタイと日本しかなかった。後はどこかの植民地だった。日本の進軍によって、マレーシアができインドネシアができミャンマーができインドも独立した。
実は何億という人々が日本の進軍に感謝していた。
一体誰にとって「してはいけない戦争」だったのか、と思う。
沖縄でたくさんの民間人が死亡した。彼らは軍隊と運命を共にした。広島や長崎に原子爆弾が落ちた。東京大空襲で10万人が焼き殺された。だ・か・ら・してはいけない戦争だったのか?李明博は独立運動の指導者に謝罪せよといったが、金日成以外に朝鮮にそんな人がいたのか?マレーシアの人が在日韓国人であった李明博のこの言葉を聞いてどう思うだろうか。