マヤ暦で、一つの暦が終了するというので、12月21日ですか、23でしたっけ、とにかく今月末人類が滅びる云々という噂が流行して、一部の純真な人は悩んだりしている。
私の子供のころ同じようなことがあって、ノストラダムスの諸世紀という詩集の内容がいろいろ当たっており、1999年7の月にアンゴルモワの大王が空から降ってくるというのが世界の滅亡だというので騒がれた。今の皆さんがお聞きになるとびっくりすると思うのだけど、確か学研の科学か学習にノストラダムスの記事の解説が載ったと記憶している。当時小学生には学校から学研の学習とか科学とかいう雑誌が斡旋販売されていて、学校からの案内に従って注文票を出しておくと、毎月理科の楽しい実験道具、双眼鏡だの、やじろべえだのといった付録とともに雑誌が学校で(!)手渡されたのである。そこに書いてあるんだよ?
いつの時代にもこういうことはあるものだと思う。現代と平安時代の類似性を私はいろいろなところでたびたび指摘しているのですけれど、平安時代にもあった。末法思想というやつですね。
ただ、私たちの子供のころ、ノストラダムスの予言が信じられた背景には核兵器と東西冷戦があった。私たちの国は原爆という都市一つが消滅する爆弾をリアルに経験した。またソ連とアメリカが地球を何回も滅ぼせるほどの核兵器を手にし、キューバ危機があった。アメリカとソ連の一触即発の核戦争という危惧が現実のものだったのだ。
本当はその危険性は今なくなったわけではない。核爆弾自体は今でもいっぱいあるわけですからね。当時は米ソは真剣に対立していたから、軍にかけるお金も半端ではなく、規律もしっかりしていた。しかし、経済が立ち行かなくなるとか、社会秩序が乱れる、第三国が台頭する云々で、ちょっとした頭のおかしい人がコンピュータをいじくりまわした挙句、ユタかアリゾナかどこかのロケットのボタンのスイッチが入ってしまった、などということはありそうに思う。
せっかく悩むのだから、具体的なことで悩みましょうよ。
核弾頭が100個あって、あなたが生きている間行った活動で、1個はなくなりました。地球滅亡の危険性が0.1%減りました。そういうふうでありたいものと思います。