聞いた話なので、どこかに出典があって正しい話が書き残されているかもしれない。
ギリシャのハルキディキ半島にある聖山アトスは、生神女マリアが上陸して以来聖地となり、女人禁制で数多くの修道院が立ち並び、多くの修道士がそれらの修道院やケリといわれる小さな小屋で修行を続けている。修道院の祈祷は、カトリックでいうミサに当たる聖体礼儀のほか、早課、一時課、三時課、六時課、晩課、祭日ごとの祈祷、徹夜祷などがあり、福音書に書かれた祈祷や歌や公会議で決まった祈祷のほか、所謂ダビデの詩編が引用されたり、諸聖人が作ったキリスト教独自の祈祷句であるトロパリなど様々な種類の祈祷がある。これらの修道院には図書館などもあり、カッパドキアなどで活躍した師父達の神学書も残されている。また、致命(殉教)した聖者たちの不朽体をはじめ様々な聖遺物が残されている。
ところが、この聖山アトスに一人のとても馬鹿な修道士がいて、何も覚えられない。
しかし、この人は聖母を熱心にしたっており、セオトケ・パルセネ、ヒェーレ・ケハリトメニ・マリア・オキリオスメタスウ(生神童貞女や、喜べよ恩寵に満たさるるマリアや主は爾とともにす、カトリックでいう「めでたし」)だけはちゃんということができた。そして四六時中マリア様をしたって、この祈祷を繰り返していた。
仲間の修道士はこれしかわからないこの修道士を馬鹿にして、「おい、セオトケ」などと呼んだ。セオトケというのは生神女(教会で決められた聖母の別称)のことであって、おこがましい呼び方かもしれないかもしれないが、からかってそのように呼んだのである。
さて、この修道士は死んで葬られた。すると墓の上に一つの花が咲いた。花はこの人の棺から伸びておりたどっていくとこの人の心臓から伸びていた。
この人は列聖され、聖人のひとりに数えられるようになった。
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この話は、あるギリシャ人の司祭から聞いたものである。もし列聖されたのなら教会に記録が残るはずである。しかし、この話の真偽をこれ以上検証したことはない。
だが、こういう話は古今東西に存在している。いつかしら、自分はこういう話を永遠の話と呼ぶようになった。