田舎に住んでいるといろいろ思う。農業をやっても食えない。食えないとわかっていると一生懸命出来ない。一方で土地は荒れる。
昔から住んでいる人は、先祖から受け継いだ土地を守ろうと採算度外視で田んぼをつくる。田や畑は1年作らなければ土地が荒れてしまって続けられない。一度やめてからもう一度始めるのには何年もかかってしまう。誰かに頼んででも何とか作るのがいい。
木こりがなくなった。ガスや電気が火力になり、お風呂はオール電化や太陽光やコージェネなんかになった。木こりがなくなると、山が荒れる。山が荒れると動物が出てくる。田んぼの周りにはイノシシを防ぐ網を張らなければならない。
自治会の活動は田舎では盛んだが、だんだん担い手が高齢化していく事情は変わりない。
もっとも、新しい産品に取り組んでいる人もいる。最近はブルーベリーを栽培する人とか、ブドウを栽培する人があったりして、近くにワイナリーがあったりもする。
しかし、もし教会があったらどうだ?とは思う。時々。
教会があると、パンがいる。小麦粉がいる。ぶどう酒がいる。麦がいる。ブドウがいる。たくさんはなくてもいい。その教会とその周りで使うだけあればいい。
パンを焼くなら窯がいる。ガス窯でもいいけれども、煉瓦を組んで下で火が焚ければパンができるだろ?木こりの入り込むスペースがある。
日曜日に人々は教会に集まる。お互いの顔を必ず1週間に1度見ることになる。公民館が要らない。
葬儀場や結婚式場が要らない。毎週集まる人々が、そのまま御嬢さんの結婚式のお世話をし、お爺ちゃんのお葬式のお手伝いをする。
結果的には市役所があって自民党があって公民館があるのと同じことをしているのかもしれないが、少しづつそれぞれの意味合いが変わってくる。田舎の抱えている問題のそれぞれに対して、何らかの解決策を持っていて、それらを結びつけることができるように見える。
もちろん長くキリスト教圏に住んだ人には反発のある人もあるだろう。だが、考えてみると教会というのは実にうまくできた仕組みだと思う。