「神様はいると思いますか。」
「神は存在しますか。」
表現はいろいろことなるけれども、多くの人の疑問を言葉にすると大体こういう質問になる。
毎日毎日、どこかで誰かがこの質問をしている。
多くの人の思っている神は、どこか遠くの自分の知らないところに立派な玉座があって、そこに髭の生えたお爺ちゃんが杖か何かをもって座っているというようなものなのだろう。そうではないのだ。
神というのは、個別の物の世界という考えから自由になれば、遅かれ早かれ誰にでもその前に姿を現す自明の事実だ。
空間で仕切られた個別のもの。それは細かく分けていくと、それ以上分けることできない原子に行きつく。その原子を寄せ集めると、物理的な力が微妙に働いてあるとき突然生命になる・・・そんなことがあるだろうか。ほかのものは別にいい。あなた自身はどうなのか。あなたは、原子が風のような外部の物理現象に煽られて複雑に反応しているだけのものなのか。
どんなにバラバラの積み木をくみ上げても、それが命を持つということはない。個というものは最終的な世界の姿ではないのである。
別の言い方をすると、命はシステムではない。今ここでシステムというのは、部品を組み立ててできる全体ではない、ということだ。
ロボットはシステムだ。部品が壊れれば、全体が機能しなくなる。そのどこに命があるのだろうか。命はシステムではなくて、いわば時だ。命は世界に本質的なものなのだ。