本当は「舛添都知事当確のホロスコープ」を出さなきゃ、と思うのですが・・・ゆっくり読み解くことにして、ちょっと別の記事を載せます。
東京はものすごい速度で高齢化が進んでいるのだという。これは、高度成長時代に急速に発展した都市部には多かれ少なかれいえることのようだ。
団地が作られて若い人が沢山入居し、当時はある程度安定した職業に就いた。つまり、その土地に永住するということだ。
成功した人は、戸建て住宅を買って、田舎から両親を呼び寄せる。それほど大きく成功しなかった人でも、そのまま団地に住み続けるとか、要するに都会で一生を暮すわけだが、この人たちも退職年齢になってきている。
かつては若い人が都会に流出するということで、田舎が高齢化の中心だったわけだが、何十年か遅れて今その波が都会に押し寄せてきているわけだ。
さて、いざ高齢化が進んでしまうと、田舎と都会とどちらがいいのかわからない。
都会の豊かさというのは、要するに給料がたくさんもらえるということだ。就職先があって、金がたくさんもらえて、その金を使ってあれもこれもできる、ということだ。確かに田舎には就職先がなく、いろいろ聞いても収入は公務員を除けばみな大したことはない。
逆に都会では何をするのにも金が要る。
田舎で家を建てるというと、多分数百万からの話になると思う。土地を入れても1000万とか。しかし、都会で戸建ての住宅ということになると、数千万から1億というようなことになるだろう。そして田舎の土地は広いのだ。庭に何かを植える、というようなことが都会ではなかなか難しい。
私の場合は実家が残っていたというのが大きいことだと思うのだが、食事にしてもそうだ。米や野菜は自分の家や地域で取れるもので、鍬をもって畑に行かないといけないということはあっても、取れたから、まあ食べましょう・・・みたいなのりで、ただみたいに食べられる。本当は肥料代も種代も固定資産税も要りますよ。だけどなんだかんだでそんなにかかってはいない。
まあ、珍しいものはなかなかないかもしれない。しかし、これだけの食事を都会で揃えようと思うと、多分数千円はいる。
うちには豆炭のこたつがある。電気は部屋が湿っぽくなるが、豆炭は乾いていい。とはいうものの、炭や豆炭が燃料として使えるということは、ある程度の広さや環境がないとできない。どこかのマンションでそういうことをしようとしても多分できない。この間の大雪で停電になったりしたら、マリーアントワネットじゃないけど「電気がなければ炭を起こせば?」ということになるだろうが、都会でそれはできない。
考えようによっては田舎はすごく豊かだ。
エネルギーも福祉も、東京に全部持っていくという考えは、やっぱりおかしいと思うんだよ。すごく無理があるし歪みがあると思うんだ。