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多分、何かが足りないだけ

田舎に移って、あっというまにその生活になってしまった。夜は、何もないから、仕事で夜更かしもしたいところだけど、大抵とっとと寝てしまって、どちらかと言えば朝方の生活になっている。時々関西にやってきても、訪問先と宿泊先をまっすぐに行き来するだけだ。

 

ところが、今日はいろいろな都合が重なって、夜の祇園から四条烏丸まで歩くことになった。町は色々変わったかもしれないが、しかし、この辺は一応京都の目抜き通りと言っていいだろう。タクシーが夜の街を駆け抜け、土産物屋、デパート、飲食店などが軒を連ねる。

 

何度も何度も夜この辺りを徘徊していた。あんまり、アッパークラスの徘徊じゃないですよ。祇園を遊び歩いたなんて言うことはない。南座も歌舞練場も建仁寺もあるわけだが、京都の京都らしいところに行って、京都らしいことをしたわけではない。だが、それがバイトだったのか、仕事の帰りだったのか、打ち上げでのみに行ったのか、誰かと待ち合わせだったのか、何かはっきり思い出せるわけではない。だけど、体がそれを覚えていて、まるで夢の中の出来事のように、自分がかつてここに普通に生きていたことを感じた。

 

あの時、ああなった。第三者的に見たら、ああ失敗した、といってもいいのかもしれない。自分としては別に失敗したわけではないと思っている。しかし、いずれにしてもうまく行かなかったわけだ。

そこに自分がいて、何も生まれなかったわけではない。何も前進しなかったわけではない。努力しなかったわけではない。ひょっとすると、並みの状況より一歩も二歩も進んでいた。だが、うまく行かなかった。

 

多分それは自分が悪かったわけでも、相手なり環境なりが悪かったわけでもない。何かが足りなかっただけなののだ。

 

あなたの身につまされる体験でなくてもいい。だけど、どうもうまく行かないことというのがある。

意見の違いとか、社会問題とか、政治的な問題にしてもそうだ。Aの考えを考えてみると、それはそれで正しい。しかし、Bの考えはなるほどと思える。そしてAとBとは全く相いれないというようなことがある。家庭や友達でそういうことがあって、それが解決できないまま表に出てくれば、離別などの悲しい結末が待っていることになる。

もしそこに何か別のものがあれば、多分それはうまく行っていたのだ。

その何かというのは、水が100度になっていなかったというようなこと。装飾品のなかの本物の金。お菓子に入っているバター。何かだ。

小麦粉も卵も素晴らしい品質のものを使っている。だがバターがないというような・・・

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