自分は昔、西洋人のいう「愛」というものがよくわからなかった。宇多田ヒカルさんじゃないけど、「愛しているよよりも大好きのほうが・・・」しっくりくるよ。日常生活で日本人は「愛してる」なんていわないもの。
それから平坦でもない、あんまり褒められたものでもない人生を過ごして、愛というものが何か、わかったかわからないか、それもわからない。
でも、キリスト教徒である限り、必ず愛さなければならない。
一応の原則はあると思う。つまり
- 自分にしてほしいように他人にしてやれ。
- キリストに味方するものということで、水一杯恵んでくれる人は、その報いから漏れることはない。水一杯でも必ず主はあなたのことを省みてくださる。
- 名もない一人の人にしたことは、私にしたのである。
- 最初から全財産をつぎ込まなくてもよい。よいサマリア人のように、持っている1000円、10000円で困った人を助けてやれ。
愛だ、愛だと西洋人が言うのは、簡単にいえばキリストが愛し合いなさいという掟を残したからだ。それを実践しようとすれば、多分上に書いたようなことを一つ一つやっていかなければならない。もっと難しい命令もあってキリストはあなたの敵を愛せとか、友のために命を捨てるとか、いろいろ仰ったが、それはとても稀な機会だと思うのだ。毎日命を捨てることはできないよ。
いえ、先日のアナと雪の女王をまだ引きずってるんです。テーマは「真実の愛」で、真実の愛が雪を溶かします。ま、いいでしょう。
あの物語の中で、名もない人が本当に困っているときに、水一杯でも、ほんのちいさなことでも、何とか助けようと奔走した人は誰だったのか・・・どう考えてもハンスさんだよなあ。ハンスにスープもらった人は映像には出てこないよ。だけどその一人一人に物語があってみんな「王子ありがとう!」と思ったに違いない。自分がアレンデール国民だったら、ハンス支持でクーデター起こして市庁舎の占拠するかも。
日本の人だって、寒い時期に炊き出しとかしてくれる人に皆感謝していると思うんだ。阪神淡路大震災も冬だったし、東日本大震災も雪の舞い散る中での災害だった。インフラが途絶えて、お湯のシャワーも浴びることができない。飲み水にも困る。仮に物資を持ってきてくれる人に多少の政治的立場や利害関係があったとしても、そこで実際にその日に食べられるものを提供してくれた人に感謝するだろ?その人だって、それをすることによって次の選挙で票が期待できるということがあったとしても、目の前の惨状を見て感じることがいろいろあったはずだと思うんだ。
なんでも、当初雪の女王はもっと悪役チックに描かれる予定だったらしい。最初の絵コンテでは、エルサの目は吊り上って少し恐ろしげなキャラクターだ。ところがエルサが絶望するシーンの歌「Let it go」が出来上がってしまったら、その出来があまりにも良かったので、あんまり悪いやつにできなくなってしまったという経緯があったらしい。
じゃ、まあ仕方がないから別に悪役を立てましょう、ということでハンスさんがやり玉に挙がったんでしょうかね。
どっかだけ切り取ってみると、実によくできている映画かもしれないけれども、これでいいのかなあ。