キリスト教は、戦国時代に伝わり、明治の開国以降様々な諸外国の影響もあり、日本では一応のイメージが確立している宗教だと思う。
聖書、いわゆる旧約聖書は、キリスト教というフィルターを通して日本にもたらされた。本当は所謂旧約聖書というのは、ユダヤ教やイスラムの聖典でもある。そして、旧約に代表される他の宗教に対する排他的な態度、破壊や戦争もいわばキリスト教とともにもたらされた。一方で、織田信長の例ばかりでなく、複雑すぎる仏教へのアンチテーゼとしてのキリスト教への支持というものもある。科学もキリスト教とともにもたらされた。
それでも日本でキリスト教はほとんど知られていないと思う。
日本人、多くの仏教徒にとって、インドというのはそれなりに魅力のある土地である。お釈迦様の土地だし、帝釈天だの毘沙門天だの神様もインドから伝わった。たとえば日本人が当たり前に受け取っている「あいうえお」のようなものは西洋にはない。あいうえおって音韻の規則に従って文字を並べた素晴らしい仕組みだ。しかしあれはインドから伝わった音韻の学問があったから、1000年も昔に日本はそういう文字を作り上げることが出来たのである。また、インドは仏教を通して音楽をももたらした。京都の大原で初めて現在の日本の民謡などの基礎になる音楽理論が教えられた。
インドの文化的な豊饒さというのは、今も多くの人にとって魅力的なものだ。
一方でキリスト教を見た時に、多分多くの人はそういう文化的な側面が、いわば薄っぺらい宗教だという印象を受けているのではないかと思う。
日本人にとってのキリスト教のモデルになっているのは、せいぜい16世紀以降の西洋の文化である。西洋イコールキリスト教なのだ。
キリスト教音楽ということで思い浮かぶのは、多分バッハかモーツアルト、古くてパレストリーナなのでないか。あるいはキリスト教の絵画というのはミケランジェロかラファエロではないか。
だけど、それは西洋人がインドのことを全く知らないまま日本の禅とサムライと切腹だけ見て「これが仏教だ」と考えるようなものだと思うのだ。
新しいキリスト教を見て物足りないと思う人は、直接イスラエルに回帰していく。その結果どうしても偶像崇拝の禁止や排外的な態度こそがキリスト教なのだ、という方向に走っていく。
しかし、実際にはキリスト教の文化というのは、主が教えを伝えられて、4世紀にローマの国教となり、7世紀にイスラムが起こるぐらいまでの期間に全盛を極めた。
考えてみてください。その時代にはイスラムはなかったのです。ローマ帝国の領土内にそれまでの多神教の信仰に代わって、キリスト教は野火のように広がった。アルメニアやエチオピアは、ローマとは同じではないがキリスト教を国教化する方向を選んだ。ローマがキリスト教になった時、おそらくインドから西の中東の多くの土地、アレクサンダーが東征してギリシャ語が使える土地にキリスト教は広まった。西側においては北部ヨーロッパを除いてキリスト教が広まった。
多分その時代にはキリスト教が本当に世界を変えると期待された。そして実際に多分多くの人が救われた。
ところが我々は10世紀ぐらいまでのことはほとんど何も知らない。未熟な古代人が愚かな宗教を信じていた・・・ぐらいの認識しか多分ない。