アッシジの聖フランチェスコといえば、カトリックの人でなくても誰もが一目置く聖者だと思うのです。初めて聖痕を受けた人です。オオカミに説法し小鳥と語り合いました。またイスラムや異端と呼ばれる人であっても、熱心に神を求める人とは仲良くし和解しました。
カトリックは十字軍の時にそれまで多宗教が折り合って共存してきたエルサレムの住民を虐殺する暴挙を行いました。それゆえ主が復活された墓に建てられたキリスト教の発祥の場所ともいえる聖墳墓教会にカトリックが入ることをエルサレムの住民はゆるしませんでした。しかし、フランチェスコが東西の融和に努めたため、フランチェスコ派だけはエルサレムに入って聖墳墓教会に祭壇を作っています。
自分は旅行会社に勤めたおかげで、それまで書物で見聞きしていた様々な土地に実際に行く幸運を得ました。そして、中にはカトリックのお客さんがおいでになって、普段観光客が見られないものを見る機会にも恵まれました。ローマ法王庁にも行ったし、アッシジにも行きました。この点はとてもありがたいことだったと思います。
神がフランチェスコに再建をお命じになったサンダミアーノの教会は、バスで行くと比較的平らな土地にあります。一方でフランチェスコの修道院やクララの修道院は坂道を上がった山の上のほうにあります。今どうなっているかわからないけど、自分のころは観光で行くと中腹の眺めのいいレストランで、絶品のチーズのパスタが出ました。
修道院の中はきれいな青いフレスコ画で覆われていて、この点は正教会の教会の内部にも似た素晴らしい装飾がなされています。ご存じの方も多いでしょうがジョットという有名な画家が、フランチェスコの業績を絵にして残しているのです。
そして、修道院に通じる道には土産物屋が軒を連ねていて、観光客、あるいは熱心な巡礼者といってもいいでしょうか、そういう人たちのために様々な聖画や彫刻、絵葉書だとかいろいろなものを売っています。したがって、ここには当然ジョットの絵と、たとえばラファエロの聖母子像、あるいはミケランジェロの聖画の土産物で埋め尽くされている・・・はずだと思うでしょ?
ところがあにはからんや、私が行った時には正教会のイコンがたくさん販売されているでありませんか!
イコンには有名な絵柄というのが大体決まっていて、アトスなど有名な聖地にそのもとになる絵があります。だからよく知った人なら、このイコンはプロタトゥにあるやつだとか、トリヘルーサ(三本手のイコン)だとか、簡単にわかります。
さらに上のほうには大きなウラジーミルの聖母のイコンが飾られているのです!
一応リンクを貼っておくので見たい方はご覧いただきたいと思うのですが、このイコンはロシア正教会を代表するイコンの一つです。ちょっと待ってくれ!ここってイタリアで最大の聖地みたいなところなんじゃないの?なぜモスクワのイコンをデカデカと飾らないといけないの?
読者の方はクリスチャンとは限らないでしょうから、仮に仏教の世界で考えましょうか。私もお寺さんのことはあまり知らないけど、西本願寺の前の通りとか、金毘羅さんの参道とか、数珠屋さんや仏像屋さんなんかが軒を連ねてます。金毘羅さんなんかでは結構立派な不動明王や観音様が販売されているのを見ました。それは熱心な方が買って帰って、お仏壇か床の間に飾って、手を合わせるわけでしょ。
その、西本願寺や金毘羅さんの参道で、たとえば中国の雲崗の大仏を模した仏様やアジャンターの仏様やチベットのタンカみたいなものをを自宅で飾るものとして販売するでしょうかね?ありえないと思いません?
そもそも有名な画家が描いたとか、そんなことすらどうでもいいことであって、これは仏様を祭るわけでしょ。仏教徒だって、何も木の像がきれいだから拝んでいるわけじゃない。仏様だから拝んでいるのです。そこではちゃんと手は印を結んでいて、髪の毛は螺髪になるとか、背光はこうなっていないといけないとか、ご本尊としての決まりがあるはずです。
まして、他宗でかつてお互いに破門しあった宗派の仏像を販売したり飾ったりすると思いますか?
ところがカトリックの最大の聖地でそれは当たり前に行われているのです。
では、彫像はどうなのか。今カトリックの教会に行くと彫像がありますね。
カトリックさんでも、南仏の古い教会とか、あるいはウフィツィ美術館などにもありますけど、以前は東側のイコンと同じように、芸術性云々ではなくて信仰のよすがとして描かれた聖画というものがありました。
一方でローマ法王庁に行くと、屋根の上に、素晴らしく生き生きとした、今にも動き出しそうな、白い使徒の彫像が飾られています。で、よく考えてみると、これは古代ギリシャ・ローマの彫刻の考え方や技術にならったものだと私は思う。つまりカトリックさんが今のように彫像を重要視するようになったのは、ルネサンスの影響だと思うのです。
実際に、たとえばサンピエトロ大聖堂にあって人々の信仰を集めているミケランジェロの「悲しみの聖母」と言われる像があります。法王庁にやってくるすべてのカトリック信者がこの像を撫でていくため、足の部分は擦り切れて形がなくなってしまっています。それで、この像はいつ作られたものかというと1500年ごろのようです。
カトリックさんにこういうことをいうのは、悪い気もするんです。熱心な信者さんもいる。戦国時代に迫害されて殉教した人もいて、日本でも熱心な信仰が歴史を作ってきている。
だけど、要するに多分カトリックには、このルネサンス以前には、何もなかったのだと思う。あるいはカトリックはキリスト教が成立・普及した紀元1000年より前の自体から1500年ぐらいまでの間に、それまでの信仰の流れが激変した。大きな変化に襲われた。そして、今我々がイメージしているキリスト教は、そこから後のものなのです。プロテスタントは?自分にはカトリックが信用できないと考えた人がいたというのは、仕方がないことだと思えます。一旦聖書のみということにしよう、聖像の崇拝はやめましょう、マリア信仰はやめましょう、プロテスタントはカトリックへの反発が故に多くのものを切り捨てざるを得なかったと私は見ます。
ですから、普通の日本人が「キリスト教」というものを見るときに、数百年以上の空白期間があるのです
なのに、誰もそれをおかしいと思っていない。知らないのだから無理もないかもしれないが、本当に知られていない。