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知られていないキリスト教 (5)

日本でキリスト教は、排他的で人の罪、特に性的なことを暴き立て責め立てる宗教と考えられていると思う。

 

キリスト教ということで聞くことは、婚前交渉はダメです、不倫はダメです、離婚はダメです、自殺はダメです、洗礼を受けていない人は救われません・・・というような、とにかくマイナスのこと、消極的なことがほとんどだ。

それは、不倫もダメだし離婚もダメだよ。キリスト教徒は大手を振って離婚してください、というようなことをいうつもりはないです。

だけど、そんなことは実は仏教でもちゃんと決まっている。仏弟子になるには受戒せねばならず、その戒律の中には、不邪淫戒が必ず含まれる。お釈迦様も欲望が統御できなくても少なくとも隣の奥さんに手を出しちゃダメだというようなことはハッキリ仰っていて、戒律の面でことさらキリスト教が厳しいということはないし、目新しいことは何もない。

現実的な問題として、コンドームの会社が調査した内容では、日本人のSEXの回数は、キリスト教国と思われる国に比べて、絶望的に少ない。ほかの国の連中は、もっとヤッてるよ、絶対……

今のご時世で、若い人はなかなか配偶者と知り合う機会がない。昔みたいにあぶれた人がいればちゃんと地域に見合いの話を持ってくる人がいる、というわけではないから、ある程度婚前交渉のようなものが普通に行われている。キリスト教は絶対違うのだ、と意地を張るのであれば、それに見合うほどの高い達成をもたらすか、あるいはそれに代わる社会システムのようなものを用意しなければならないと思う。

 

一方でキリスト教の断食の話はあまり聞かない。SEXがダメなら食欲も制限されるべきと思う。自分はたとえば復活祭の前の斎とかがあって、守るようにはしている。だけど、たとえばレストランで「私はクリスチャンですから今の時期これこれのものは食べません」というようなことはあまり聞いたことがない。

 

キリスト教は、愛の宗教として始まった。始まった時はそうだった。

イエスは故意にそれまでのユダヤ教の慣習を破られた。たとえば安息日に禁じられている医療行為を行った。目が見えない人が安息日に見えるようになったため、彼は当時の聖職者との間で争わなくてはならなかった。イエスは何か、わざと彼のために難しい環境を用意したかのようだった。

姦淫の罪を行ったとして石打の刑に処せられる寸前の女性のところに来て、ではあなた方のうちで罪のない人が石を投げなさいと命じられた。しかし、これはよく考えてみると、規則違反といえば規則違反なのである。イエスは人のために規則があるのであって、規則のために人があるわけではないと教えられた。本質を大事にするために、わざと規則を破って見せるということを行われた。

 

愛・許すこと。それがキリスト教の根幹をなしていた。

 

神は人のために規則をお与えになった。それはモーゼを通じて行われた。そのために神は契約の石をお渡しになった。

キリスト教はそれまでの預言者と律法の宗教とは違う。なぜかというと、子が直接この世にやってきたからだ。

子は十字架にかかる前に、お前たちはこの規則を後生大事に守りなさいとは言わなかった。子が我々に望まれたことは、最後の晩餐にならってパンを分けることであり、互いに愛し合うこと、お互いにへりくだり、許しあうことだった。何を食べた、食べてないと気にするな。具体的な行動の何が良い悪いということはいわないけれども、その結果を見て判断せよ、よい木は良い実をつける、と教えられた。

 

しかし、愛を中心とした宗教、というからには、その成員は愛を持ち実践していなければならない。放縦にしていいとか、放蕩して、みだらな行いに身を任せてもよいと言っているのではない。現実にはキリスト教を伝える人がそうした罪深い行いを許してあげても、なおそうした人々をひきつけるだけの愛を持っていなければ、ここまでキリスト教は広まらなかっただろう。

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