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センター

精神的なセンターみたいなものがいると思う。

 

すごく漠然とした考えで申し訳ないのだけれど、たとえば修道院とかです。そこに行けば精神的ないろいろなものがあって、よい影響を吸収して帰ることができる、みたいな。

 

今は人々は物質的な中心を整えることを考えている。複合商業施設。巨大なスーパーマーケットと専門店とレストランと映画館とか。

また、知的なものとして大学や各種の研究施設というようなものもある。大きな意味で学校というものがそういうものだということもできて、それは非常に今の時代整備されていると言えると思う。

しかし、そうしたもののすべてが、いわば物質的な発展だけを目標としている状況だと思う。断熱材が入って太陽光発電する家に住んで、美味しく健康に良いものを食べ、便利な端末かなんかをもって、スポーツかシアターかわからないけどエンターテイメントがあって、あわよくばいいパートナーがいて楽しく過ごせる・・・みたいな。

大学なら大学であったとしても、その研究の動機というものが人間的に用意される場がない。そのため必然的にその目標は有名になることや金持ちになることのような、この世の利害に左右されてしまう。その結果、厚生労働省は国民の半分が高血圧になるような健康の指標を用意し、製薬会社は効果を偽造した薬でぼろもうけするというようなことが起こってしまう。

 

別に人生で一定の成果を手に入れるために、80歳の寿命があっても60まで生きてその成果を手に入れよう、というのはありだと思うのだ。その肝心の一定の成果という動機づけがあるシステムみたいなものが今の世の中には欠けていると思う。

 

どれぐらいの時代といったらいいのだろうか、太平洋戦争が終わってベトナム戦争ぐらいの時に、コミューンというのが流行った時代があった。アメリカなどで一定の土地を宗教団体や思想を同じくする人が所有して、同じ目標に向かって共同生活していく場である。

その場の中で、菜食をしましょうということになると、外のスタンダードは関係ない。厚生労働省の進めるEPAの一日当たりの摂取量はこれぐらい、だけど、その中の人は魚は食べないわけだからそれなりの健康法を見出し、それなりの価値を見出すことになる。世の中がワールドカップに傾こうがLet it goに傾こうが、その中では毎日朝には一定のお祈りをすると決まっていれば、そのお祈りがすべてだ。

 

そういう何かがあるべきだと思う。外面的なものを似せて作っても、それはそんなに大きな実はならないと思うのだ。

そのためには中心となる思想が必要で、中心となる一人の人が必要だ。

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