キリスト教が他の啓示の宗教 – つまりイスラムやユダヤ教だが – と違う点は三一神論です。
ご存じのとおり啓示の宗教と言われているキリスト教・ユダヤ教・イスラム教の特徴は一神教だということですね。
ところが、キリスト教は三一神論を唱えた。三一神論というのは、父と子と聖霊(聖神)の至聖三者、3つのものであって同時に1つの神であるという考え方で、カトリックさんを通じて広まっている一般的な表現だと三位一体ですね。
この三一神論は福音書にも特に明記はされていない。聖霊とか子という表現はあるものの、父と子と聖霊の三にして一なる神とは明記されていない。
そのため、イスラムの人はイエスもただの預言者であるとして、間違いだと主張する。
プロテスタントは基本的にはカトリックの教義をそのまま引き継ぎつつ、ただし教会の伝統は否定して聖書だけだと言い始めたわけだが、聖書のみだと言ってしまうことは、実は三一神論などなくても一緒ということになってしまう。そのためカトリックの影響を色濃く残しているルーテル派や聖公会はわからないけれども、最近の新興宗派では三位一体云々を邪魔者扱いするようなところもある。
ではなぜ三一神論などというものがあるのか。キリスト教は迫害の時代を経て、4世紀に世界に認められるようになった。そして福音書の一番古い写本も4世紀である。しかし、その4世紀にはすでに至聖三者の教義もあったのである。なぜならこの時代にはキリスト教の教義が様々な形でまとめられた時代であり、アリウス派などの所謂異端、言葉を変えればようような解釈や主張のある中で、これが正しいのだということを主張する人々がいた時代だった。その正しい主張をまとめたものが今伝わっている至聖三者の教義だからである。
至聖三者という考え方は、単純な一神教に比べてとても分かりにくい、複雑な教義だと言っていいと思う。その教えが当時の地中海周辺・中東地域に怒涛のごとくに広まったということは、そこで伝えようとした事柄について多くの人々が「あ、なるほど、そのことが言いたかったのか!」という納得があったはずなのだ。
今日本にも三位一体という言葉があって、断片的に、子は生まれ、聖霊は発出するとか、聖霊は父と子の愛の絆だとか、高校ぐらいの世界史の授業でも習うわけだ。
それで、皆さん方、「あっ、なるほど!」という発見があるでしょうか?納得いきますか?
福音書は、この考え方に対して基本的な概念を説明していない、と思う。福音書を見ただけでは、たとえば聖霊の基本的な概念というものは書かれていない。子についてはいくつかの一見違う表現がある。神の子と言っている個所もある。人の子という表現も出てくる。それは同じなのか、どうなのか・・・恐らく多くの人にははっきりしないだろうと思う。
古代の文献をよくご研究になっている方は、その中に「遍在する聖霊」というような、当時常識として受け入れられていた概念が存在することに気が付いている。今日本で知られているキリスト教では、そうした概念を記したテキストの部分が欠落している。
自分は自分に対しては、昔疑問だったそれらのことは、説明できる。そしてそれは真実であって、とても重要な教えなのだ。仮に一神教なら一神教というものを認めるにしても、いわば一歩踏み込んだ、より知りたい人にとってのどから手が出るようなことだとわかっている。