イコンというのは、キリスト教で描かれた聖像のことだ。神学用語というのは実に端的に本質を表していて、パソコンが普及した時にプログラムやホームページを象徴する一つの小画像のことをアイコン(icon)というけれども、基本的に同じことを意味している。
多くの宗教では、その伝えようとしていることが、描かれた絵のようなものでは表現しきれないということを強調し、絵を描くことを恐れた。
あまり日本では想像できないことかもしれないが、初期仏教徒は仏陀を彫ったり描いたりしなかった。お弟子さんの集会のレリーフがあって、真ん中に菩提樹が彫られていたり座る場所が彫られていたりする。その菩提樹や座る場所が、実は仏陀を表している。初期仏教徒は仏陀を具体的な形に表現することを嫌った。
キリスト教でもカッパドキアでは、修道士がかつて生活していた抽象画で覆われた空間がある。
その描いてもいいという考えと、描いてはダメだという考え方はずっと対立を続けて今日に至っている。ユダヤ教、イスラムは描かないというほうをとった。仏教は大方派手に描いているが、禅のように仏像があっても派手な装飾を避ける宗派もある。プロテスタントの多くもほとんど画像を使わない。
7世紀にキリスト教ではこのことが大きく問題になった。イスラムが台頭し、キリスト教内でも描かれたものを破壊したり捨てたりということが行われた。逆に現存する有名なイコンはこの時期のものが多い。イビローン修道院にあるポルタイティッサと呼ばれるイコンは、聖像破壊運動でコンスタンチノープルで海に捨てられたイコンが、海上を流れてアトスの周辺に流れ着き、山中で修道していた修道士が海上を歩いてそのイコンを取りに行ったのだという。トリヒェルーサ(三本手のイコン)は聖像破壊運動に反対され手を傷つけられたダマスコのイオアンが奇蹟的な治癒に感謝して3本目の手を描いたことに寄っている。
このころ聖像を守った人々は、この聖像は神そのものではないが、崇拝するもののイコンであるということ、神が人になられたのであるから、人間の姿をした具体的なものに表現することは問題ないのだという論陣を張った。
この神が人の形をとる、肉体に宿るという思想がキリスト教と他の啓示の宗教を分けている。
イコンがあるということは、本当はもっとさまざまな側面があるのだろう。しかし、その論争でイコンはあるべきだ、と言った人々は神の重要な側面を表現しようとしたということが今更わかるような気がする。
一神教は単純な思想で、神は一であり絶対であるという。しかし、その神がどのように私たちの救いと関係しているのか。どうしてもそのとき、神というものが「どこか向こうの誰もあずかり知らないよくわからないもの」となってしまう危険性をはらんでいる。一神教の思想が十分浸透した時点でキリスト教は三一神を持ち出した。神との関係における我々の位置づけをキリスト教は極めて具体的な形で伝えようとした。