女優の鶴田真由さんがメラネシアの島を訪ねるテレビ番組があった・・・題名はわからないけれども、たまたまみんなが見ていたので見かけた。なかなか魅力的な女優さんだ。
島は40年にわたって日本によって支配されていた。島の人々は野菜の名前を日本語で呼んでいた。多分日本人がもたらしたのだ。
島の人々は日本の歌をお爺ちゃんから教わって歌うことが出来た。日本人は学校も作っていて、年配の人で日本語が話せる人もいた。戦争によって島はめちゃめちゃにされたが、人々は日本人に対して恨んではいなかった。日本人とは仲良くやってきた。悪いのは戦争なのだ。テレビ取材で訪れた俳優さんのために彼らは喜んで日本の歌を歌ってくれた。直接日本統治を経験していない若い世代も子供たちも一緒になって歌っている。
先の戦争に関連して、いろいろな人がいろいろなことを言っている。それぞれの意見はそれはそれでいいだろう。
ただ、そのときふと思ったのだが、間違いなく戦前の日本人はよくやった。
それが良かったとか悪かったというのは、あとからくっつけられる理由だ。それは歴史家がすることであり、あるいは実際今そうであるように政治的な合意でそうなっている。
しかし、よかったとか悪かったという前に、彼らはかなりいろいろなことを行った。大きなビジョンを持っていた。それを行うことに希望もあっただろうし、その目的は破壊や不和や従属などといったものではなかった。破壊や従属の目的で外国へ進出した国はいくらでもある。多くの国がそうした。しかし、彼らの動機はそうではなかった・・・なんせ、我々のおじいちゃんたちなのだ。
実際に南洋の人々は日本に対して武器を持ってクーデターを企てたり、焼身自殺を図って日本政府に抗議したりしなかった。仲良くやっていたのだ。彼らも日本の歌を歌っていたし、私たちの子供のころ聞いたり歌ったりした歌の中にはサモア諸島の歌とかヤシの木やバナナの木が出てくる歌とか当たり前のようにあった。
そして、何よりもその行ったことが膨大な業績だと思える。
彼らの業績自体は、過小評価できるようなものではなかったはずだ。
西尾幹二さんの「GHQ焚書図書開封」シリーズを読んでいると、20世紀に入ってもアメリカは太平洋の島々の”土人”を牛や馬のように虐殺していて、日本人がそれに対して危機感を持ってたのが良く分かります。”焚書”の対象になったのはそのことについて書かれた本が多いようです。
戦前の新聞・雑誌・書籍の広告を見てもその手の本が結構あります。
国会図書館のデジタルライブラリーにデジタル化されているものもあります。
「GHQ焚書図書開封」の総論的な書物「天皇と原爆」が文庫化されましたが、良い本でした。
若者には読んで欲しい本です。
パラオの人々の親日感情は有名ですね。日本人風の名前を今でもつけているみたいです。
灸太郎さん、こんばんわ。
焚書があったんですね。悲しいことですね。
>焚書があったんですね
その手の本が大量に出回っていたので、公共施設から撤去するだけでは無理で、
いままだ手にできる書物がある。。。ということのようです。
こういう話、知らない人がまだまだたくさんいるんでしょうね。