結局自分にとってかぐや姫の物語は強い印象が残ったなあ。最初は印象薄かったのだけれど。
天人の音楽で姫が連れ去られるところがとても印象深い。他の多くの人もあの音楽が気に入ったようで、Youtubeなんかにも沢山「作ってみた」「演奏してみた」みたいなのが上がっている。
でも、それほどまでに強い印象を残し、いろいろ訴えかけるかぐや姫の話が、実は正しくないことがわかっている。
道を追い求める人、どの宗教者も同じ問いを発する。
あの世界は清らかである。この世界は穢れている。では、なぜこの穢れた世界が即涅槃なのか。
それを知るためには、最初に悟りを開いてしまうのが良い。まず悟りを開け。
悟りは普通究極の目標だと思われている。涅槃は最後の達成物と思われている。
キリスト教も同じである。いつかその日が来ると思っている。天国に入るのはラクダが針の穴を通るように難しいことだと思われている。
それはとてつもない一段、とても達成不可能に見える一段かもしれないが、たった一段のことでしかない。上がってしまわないことには、何も解決しないのだ。
この一段が上がれないばかりに、どれほど多くの人が悲しみに沈み、迷うことでしょう。この一段を知った人は、聖と俗の間、天国と地獄の間に橋を架けることができる。とてつもない悲しみの物語にあなたが浸ることを許さない。かぐや姫にある矛盾は、本当は存在しないのです。
まず悟ってしまおう。天国に入ってしまおう。それはいつか、どこか知らないところで誰か知らない人が与えてくれるものではないのだ。
それがどこか遠くにあると思うのをやめなさい。
誰かがあなたにもたらしてくれると期待するのをやめなさい。
あなたは一人なのだ。
いつか誰かがそれをもたらしてくれると考えること、それが難しいと考えること、それが一番邪魔なのだ。
あなたが頼れる杖はどこにも存在しない。