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シュワちゃんの答え (2)

非常に社会的に成功した人、というものを見てみると、非常に多くの場合、彼らには大きなマイナスポイントがある。コンプレックスがあったり、家庭が難しい状況だったり、障害者だったり、いじめにあっていたりするケースは多い。

多分彼らの中では、あれもこれも手に入れられる、という考え方はなかったに違いない。自分は、人様との基準ではこれだけ劣っているのだ。普通の幸せというようなものは最初から望めない。自分の中に存在する、その「負の部分」が常に自分のポジティブな目標を思い起こさせる。

 

これに類似したことを言い表すことわざや考え方はいろいろあると言えばあるのです。

「二兎を追うものは一兎をも得ず」というのもそうでしょう。

それから、「誰も完全な人はいない」というのも、ある意味似たような事実を言っているように見える。キリスト教でいうような罪のない人はいないみたいなこと、それはあるかもしれない。

だけど、多分ちょっと違うのだ。

 

よい目標、人生というものを考えて、いま自分はこうすべきだ、と決定するような重要な決定というものを考えたときに、普通の考えではマイナスのことをあえて考えないと思うのです。一日一善でよいことをしよう。健康を保つために、抗酸化作用のある食べ物をこれだけ食べよう。毎日ひとつ何か自分で決めた目標に向かって勉強をしよう。たとえば、英語をしましょうとか、自分の場合ならロシア語をしようとか。貯金しよう。家計簿というか、出納帳をつけましょう。家族に孝行しよう。仕事でこういう受注をしよう。

どれも素晴らしい人生の目標というか、ポジティブにやるべきことかもしれない。しかし、おそらくそういうものだけでは、自分の中にほっこり一息ついたときに目標なく思考が泳いだり、いわゆる「だらだらと過ごしてしまう」ということは変えられないのだと思う。なるほど、それぞれのことにおいて、8割の成績を収めることはできるのかもしれない。まあまあ健康。英検一級は無理だけど、準一級は取れるかも。家族とはまあまあの関係。大企業というわけではないが食っていくには困らないまあまあの売り上げ。
しかし、多分金メダリストにはなれない。

 

だけど、もしそこで「自分は悟りを開くために達磨大師の前で腕一本切り落としたのだ」ということになると、その「人並みに腕がない」、ということは常に自分がその道に進むために決意したのだ、ということを思い起こさせてくれるだろう。腕がなければ、人並みのあれこれをすることにも事欠くことになるに違いない。

別にシュワルツェネッガー氏が手を切り落としたわけではないが、ボディビルで世界を制覇するにあたって、おそらく彼は非情に多くのものを犠牲にしてきたに違いない。それが彼女であったのか、勉学だったのか、稼業みたいなものであったのか、他にもある彼の長所のようなものだったのかわからない。しかし、おそらくそれを推進させる何か犠牲やマイナスの要因があったのだろう。

全部を見渡すことはできない。有名な画家になって、なおかつ総理大臣になることができるのかどうか、誰もわからない。総理大臣になるためには、画家としてもものすごい才能を捨ててしまって街頭演説しないといけないのかもしれない。普通はそのときに「画家になったらどうか」という考えを人は捨て去ることができないのだ。だが、総理大臣になりつつ画家になると考えてしまえば、多分画家にも総理だ人にもなれないのだ。

これをやるのだ。そして、これをやると決めたなら、敢えてその目標を常に思い出すことのできる「悪魔」を作れ。

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