信じるときには、戻ってくるつもりでそれをすることはできない。
どんな苦労の真っただ中にあったとしても、「ほな、ついておいで」と言われたら、世の中に何の苦労もしがらみもなかったかのように、まるで昨日などなかったかのように「OK!」といって、ついていかないといけない。
普通は、会社勤めがあるとか、明日はこの仕事があるとか、別に仕事がなくても起きて朝飯の準備をするとか、昨日の続きのオリンピックの結果を見るとか、何かがある。
「毎日30分瞑想します。この瞑想法ですると、これこれの成果を得ることができます。」というとき、私たちは30分後にこちらの普通の世界に戻ってきていることを前提にしている。しかし、それだと多分必要な跳躍を手に入れることはない。筋トレなら、いいかもしれない。期待した結果を手に入れることができるかもしれない。だが、信じることはできない。
「もしこの瞑想法をやったら、あなたはうまくいけば、ブラジルで目を覚ますことになります」
という瞑想法は、30分でするわけにはいかない・・・起きてみたらリオデジャネイロにいて、あわてて日本大使館に飛び込んで日本人の証明をしてもらわないといけないかもしれない。
何も気にせずに、「別にいいよ、ブラジルで目が覚めても・・・仕事の残り?ま、なんとかなるさ」と思わなければならない。
信じるということは未知へ踏み出すこと、ひょっとすると帰ってこられない旅に出ること。
<身元不明遺体>胸に刺し傷 駐車場の車内に 島根
毎日新聞8月14日(日)10時56分
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0814/mai_160814_2128843087.html
そんな近くないかもしれませんが管理人さんのお膝元でこんなことが