復讐するは我にあり 我これを報いん
有名なロマ書の一節で、人と人との間で恨みごと、復讐のことはするな、復讐は主・神の仕事だ、という。
いや、まあ、自分は当事者ではない。浜田女子大生の殺害事件のことです。だが、ふと、そう思ったのです。
殺害に加担した人物は、事件ののち、「大変なことをしてしまった」と周囲に漏らしたのち、2日後父の墓参りをするために山口に向かって、その途中で事故で死んでしまった。自分のみならず母親まで道連れにした。
もやもやする部分は、当事者ならずとも、誰しも考えていることだろうと思う。将来のある若者を犯し、残虐なやり方で殺害し、山中に放置した。被害者が一体何をしたのか。それがこういうあいまいな形で終わってしまう。悔しい思い、残念な思いというのは、このニュースを聞いている誰しもが思うところでしょう。
しかし、当人のみならず母親まで事件の2日後に死んでしまった現在、この上何を求めろというのか。事件の詳細は明らかになってほしいとは思う。しかし、もし罰が当たるということがあるのなら、これ以上の罰というものがあるだろうか。