ギリシャ語の単語帳を作って、Webに公開して、繰り返し繰り返し聞いていると語彙が増えてきて、だんだんいろいろなものが聞き取りやすくなってきた。英語でもそうだけど、文章中で鍵になる単語というのがやっぱりあって、その単語が聞き取れれば、ほかの単語があやふやでもおよその意味がつかめるというのはやはりあります。
でも、やっぱり最後に問題になるのは活用かな。
ギリシャ語は人称、数、時制、態で動詞が変化する。一語の動詞で何があったか表現されてしまうことがある。
Συμφιλιώθηκαν! (シンフィリオーシカン)
συμφιλιώνωという単語の三人称複数形中動態過去で「彼らはお互いに仲直りしたんだ」なのだけれど、英語や日本語などではいくつかの単語を組み合わせて作る文章だと思う。でも、ギリシャ語はそれが非常に大きく変化するから、一語で言えてしまう。
ただし、この大きく変化するということが問題だ。
自分は古典語もやったし、全く想像がつかないというわけではないのだけれど、それでも大変は大変なのです。場合によっては原型とは非常に違う形になる場合もある。
実のところ、Youtubeなんかを見ていると、まず耳から入って、それらしい単語を調べてみる、というプロセスを踏む。先日
ゼ・ボロ・ナ・クニソ
みたいな文章があった。
大体ゼ・ボロ・ナというのはδε μπορώ να ~つまり「私は~できない」という意味なのだけれど、クニソは何だろう、ということになった。
なんだっけ、と思って探してもκνησω, κνιθωとかの単語はない。
結局κουνηθώだった。
κουνώクノー「どこかへ場所を移す、動かす」という動詞があってその中動態・受動態がκουνιέμαιクニエーメ「私は動く、じたばたする」、それのアオリストの未来みたいな形で、結局「動けない」という訳が正解だった。
調べてみれば、これは単純な表現なので、ネイティブにとってみれば、別段当たり前の言葉なのだと思う。だから、たとえばネットで引いてみて、似た発音の表現があっても、あまりにも場違いな表現なら「これは変だな」と思うことはできるが、それでも時間はかかってしまう。
しかし、自分以上に今からギリシャ語を勉強する方とかを考えるとδεν μπορώ να κουνηθώを辞書で調べるというのは至難の業かもしれない。
だからできればκουνηθώクニソもDBに登録されていて、κουνηθώ κουνειθώ κουνοιθώみたいな、大体正しく聞き取れてはいるんだけれども綴りや活用はわからなくて間違っていても、検索するとκουνώ, κουνιέμαιがちゃんとヒットしてくれるような仕組みがあるといいと思う。
それやこれやはもう少し時間をかけて、ある程度結果を出していきたいと思います。
おひさしぶりです。
サンスクリットも定番辞書の見出し語の語形変化を俗語の影響なんかの用例も含めてすべてDBにしたら便利なんですけどねぇ。ファイルメーカーのような小規模DBをパソコンで動かすレベルでもできそうな気がします。
灸太郎さん、こんにちわ。
こちらこそ、お久しぶりです。
自分の頭の中ではアイデアがいろいろ出来上がっていて、
1.ajaxの疑似スクロールで、前後の単語がスクロールして探せるようにする。
2.登録するときに実際の発音、あるいはアクセントを含めた実際の母音だけ、みたいな索引を自動的に登録して、「ひょっとしてこれかも」みたいなのを出せる。
3.原型は、たとえば動詞なら一人称単数現在と決まっているのだが、それだけを表示フラグを立てて、同列で他の活用も一通り登録する。形容詞は形容詞、名詞は名詞で、原型のページに活用を表示する。
4.部首などで関連語を結びつける
等々のことを考えてはいます。ただ、ここのところ忙しくて、実現がどれぐらいできるか、わかっていません。
今、それでも毎日ノートのほうに登録して、登録された単語は1000ちょっとまでになっています。
ヨーガ・スートラで使われてる語句を活用はそのままに単語にばらしてファイルメーカーに突っ込もうとしたことがあるんですが、問題はサンディで繋がった単語でした。ばらし方で反対の意味になることもあるので。ギリシャ語なんかも同じじゃですかね。ロシア語はやりやすいんでしょうか?
サンディというのは、表記も変わるのですか?
たとえばαύριοはアヴリオと発音し、αυτάはアフタと発音しますが、表記自体のαυは変わりません。
多分一番問題になるのは、アクセントの移動で
たとえば「名前」όνομαの後に「あなたの」を意味する言葉が来るとόνομά σουのようにσουにあるアクセントが移るというのがあります。
しかし、これは辞書にするのは無理だと思います。
厳密に聞いた言葉をすんなり引ける、ということはたぶん無理で、ある程度は学習者さんが「多分これだろう」とめぼしはつけられないといけないとは思います。
それと、今辞書にしかけているのは現代語なので、古典語ほど規則音やアクセント記号がややこしくはありません。
つながる間の文字がaの長母音āだった場合、前の単語の語尾の長母音+後ろの単語の短母音か 前の単語の長母音+後ろの単語にはくっつけないとかいくつか分解のパターンがあって文脈や慣習で読むわけです。
たとえば如来 tatāgataを tat āgataと分解するか tatā gataと分解するかtatā agataと分解するかで、真如に行った者と読むか真如へ行って帰って来た者と読むか真如へ行かなかった者と読むかいくつか分解のしかたがあるわけです。慣習てきには、真如へ行かなかった者とは解さないので前ニ者どっちを取るかで論争が生じたりするわけです。
なるほど。本当にくっついてしまうわけですね。
tat āgatagaが真如へ行って戻って来た者、tatā gata 真如へ行った者ですね。すいません。