1年前まではロシア語を一生懸命聞いていて、3級の試験を受けようとしていた。しかし、今春はギリシャ語の試験を受けることにして、今年に入ってからロシア語は勉強していない。
昔大学の時にフランス語もちょっと習った。だからルペン党首の関係のインタービューなんかで
nous, Français, ensemble (まずは私たち、フランス人ファーストで一緒にやっていく)
みたいなことも少しわかったりする。
ニュースでは英語のインタビューも聞きますよね。トランプさんだけじゃなくて、いろいろ。
ツィプラスさんに限らず、また政治の場に限らず、ギリシャ語で公の場で話している人には、独特のリズムがあって、独特の強調の仕方がある。大体、ギリシャ語は日本語と同じでアイウエオの母音なのだけれど、アクセントには強弱があってそれでリズムが生まれるのです。
でも、たとえばプーチンが演説していても、そういうことは感じない。彼の演説はもっと冷静な、熱はこもっていても静かに聞こえる。
ルペンさんの演説はやっぱりリズムがある力強いものだけれど、でも、フランス語独特の鼻濁音みたいなのが常に響いている。
英語や日本語も、音声的には全く違う言語ですよね。
ある時ふと思ったのだけれど、一通り言語がわかるようになったとしても、それぞれの言語を私たちは別の部分で聞いているんじゃないだろうか・・・どういったらいいかわからないけど。
訳せば「これこれこう言っている」という趣旨は同じであるに決まっている。でも、なんか違って聞こえるのです。
確かにそれだけではなくて、たいていギリシャ語と日本語で両方聴けるもの、ぴちぴちピッチみたいなものを聞いていると「そうだな」とか「さあ」とかいうようなあいまいな表現がギリシャ語では許されないケースがあって「あなたは正しい」「多分そうだ」「誰が知っているというのだ」みたいな言い回しに直されていることもある。あるけど・・・
それがどう違うのか、と言われると分からない。ハートと頭?それか左右とか?でも、なんか違うような気がするんです。