先日から、依頼者の事情の詳細がわからないで、中身を詳しく当てないといけない案件が重なっている。後でご意見を聞いてその通りだったりすると、興奮したりほっとしたりする。
占いというものは必ず当てなければいけない。関西の言い方で言うと「当たってなんぼ」という。
これには異論もあると思う。私自身、占星術という分野を大きな占いと一緒くたにしてほしくないという思いもある。占星術が当てるためのものか、というとそれは正しくないのではないかとも思う。
しかし、「当たってなんぼ」なのだ。当たらなきゃ仕方がない。
事に当たって、占い師は正しいものとして、当たっているものとして、自信を持ってそれを伝えなければならない。
本当は、顧客の状況を聞くまでは当然スリルのあることである。全然あったことのない人、見たことのない出来事を、微にいり細にいり伝えなければならない。
なぜかというと、占いの術は、当然知っているべきこと、そうなっているべきことを、ありのままに明かすためだけにあるものだから、ということになるだろう。占いの術は別に個人のものではないのだ。
思うに、優れた見る人は、もっと短い言葉で事実を伝えるのだろうと思う。たとえば木村藤子さんみたいな人は、見えて見えて仕方がないと仰っていた。自分が自明の理として知っていて、相手も知っている場合、必要なのは相手を開くわずかな言葉だろうと思う。
だが、あるいはその場合でも占いの言葉は、言いにくいことをオブラートにくるんで依頼者に伝える役目を果たす場合もあるかもしれない。