昨日光母子殺害事件の裁判で大月被告の死刑が確定した。
この事件はホロスコープも見ていないし、記事になっていること・裁判の内容で発表されているものなども、たとえば冤罪事件だとかそういう可能性はなさそうに思うから、当ホームページで解釈しなおそうとは思わない。
ただ、私が思ったのは、結局のところ弁護士に殺されたようなもんだな、ということ。
18歳の少年、母をなくし父が別の女性と結婚して心の拠りどころを失った、そういう状況の人、一人前の状況とは程遠い状況の人が裁判の世界に入る。大人ですら、法律云々ということになると手が出ないから、状況を話して、弁護士が整理して方針を立てる。殺意があったら、殺人罪。殺意がなければ過失致死罪。お金を取ったら強盗。あらゆる裁判でそうだと思う。徐行していたかどうかとか、この金は誰ものだ、これは請求できてこれはできない・・・弁護士はそれらの状況を整理しこう言えばこうなる、というのを想定し、落としどころを探る。落としどころを探るのならいいけれども、ある結果を想定してストーリーを作りそれに向けて依頼者の言動を左右する。
この事件の場合、21人もの弁護人がついていた。大月被告は無期懲役で七年ほどで出てこられるだろうと考えていたとすれば、弁護士にああ言いなさい、こう言いなさいということに左右されたことは想像に難くない。
その結果、今回の被告は当初言っていた殺害をひっくり返して、ドラえもんの四次元ポケットを出してきた。裁判所としては、被告の言動は信用できないと言わざるを得ない。
最終的には意見を翻した本人の責任、心の弱さだったとしても、周囲がそれを認めたからこそ、法廷でそういう発言が出たわけだ。
もしこの期間、減刑されることを考えるばかりではなく、真実はどうだったのか、少年はどのような問題を抱えてこういう事件を起こしたのか、どうすれば少年が更生できるのかに焦点が当てられていれば、あるいは確定判決は違ったかもしれない。