なかなか、外国のホームドラマをしげしげとみる、なんて機会は今までなかったと思う。
敢えて言えば、昔ヒアリングマラソンをやったときにカナダのラジオドラマというのがあった。それでもそれも勉強だからテキストと見比べてある週のコンテンツを聞いた程度だった。
Ευτυχισμένοι μαζί κύκλος 1 – Επεισόδιο 6 (一緒に幸せになろう シリーズ1 第6話)は、「嘘」がテーマの話になっている。登場人物全員が何らかの形で嘘をつく。その嘘が大きく問題になっていく。
一番大きなのは、ご主人が奥さんに思い出の場所だといってリカヴィトス(アテネ市内の山)に連れて行くのだけれど、実は一緒に行ったのは奥さん以外の女性だったということで、それを中心に話が展開していく。
https://youtu.be/nVYiQ_sP7JE
このΕυτυχισμένοι μαζίは、日本でいうとちょうどサザエさんみたいなところがあって、あるテーマの出来事を取り上げて、誰にでも起こりえることなのかもしれないけど、それを大きく誇張して取り上げることで「こういうことあるよね」という視聴者の共感を得ていく。自分も見ていて時々こっぱずかしくなってみていられない時がある。
自分は、嘘をついたことがないなどというつもりはないが、上手に嘘をついたりできない人だと思っている。正直のほうがいいと思うし、この場は適当なことを言ってお茶を濁そう、などということはあまり考えたことがないし、いわば下手だよね。
ギリシャ語で嘘はψέμαプセーマ、複数形でψέματαプセーマタという。古い言葉ではψεύματα(プセヴマタ)で、よく「偽~」などという言葉で「pseudoなんとか」みたいな単語が英語でもあるじゃないですか、あれと同じ言葉です。
アテネにいるときに、そう、多分当時の感覚でいえば突然やってきた訳の分からない日本人が教会に来ていた、ということですよ。
あるときアトスに行く機会ができて、行って帰ってきた。
いつも教会に来ていたおばあちゃんが「一体今までどこに行っていたんだ!」というので「聖山にいってたんだよ」というと鼻で笑って「プセーマタ!(嘘ばっかり)」というわけです。
ほんとなんだってば!
しかし、ドラマを見ていて、当たり前のことだけど、実は外国人も嘘をつくんだ、と思いました。外国人が嘘をつくなんて当たり前すぎることだけど、その国の言葉がかなりできて、そこの国の社会にかなり入り込んでいるのでなければ、嘘というのは意味をなさない。
そして、このドラマを多くの人が共感を持ってみているということは、ギリシャ人の中でも、こういう嘘はあるんだ、ということ。ひょっとすると日本人のスタンダードよりひどいのかもしれない。嘘なんかつかずに済めば、それに越したことはない。