結局のところ、神を知るということと占星術は、矛盾しないというよりは、むしろ手を取り合っていくべきものだと思う。
惑星と言うのは、遠くに見える小さな光った点、というだけではない。ここにも土星がありあそこにも木星がある。
人間が惑星に影響されている、的な表現をすると、やっぱり普通の人は戸惑うと思うのです。つまり「この物質である肉体に、はるか遠くの木星の電波だか重力だかが影響し、そういうものに人間が支配されている」みたいなことを考えるだろうと思う。
そうではない。この世は思ったほどしっかりしていない。人間の生は様々なレベルのリアルさで構成されている。物質は確固としていない。火星も金星もいまここにある。
要するに、占星術が理解されないのは、我々の未熟な世界観のせいだ。
この物質でできた世界がすべてだ、という既存の世界観がなかなか壊れないため、どのレベルでどう何が影響してくるのか、ということをリアルに感じ取ることができないのだ。
もしその理解がなければ、占星術はデータ的な検証で終わってしまう。つまり、過去の統計的に火星と月のスクエアがあるときにはこれこれの事象が起こったから、先々にもこういうことが起こるはずだ、という「推論」だ。直接的な証明、直接的な理解と言うものは生まれない。
そして、この「既存の世界観を壊す」ということは、まさに宗教がやっていることだ。
物質から統計的に上を推論するのではなく、上から、命から、それぞれの法則を位置づける場所に位置付けて、初めて正しくそれぞれのものを正しい場所における。
言い換えれば、もし人が教会で一定の達成をすれば、必ずその影響に気が付くことになる。そのときその人はホロスコープは作っていないかもしれない。それを表現する言葉も別かもしれない。だが、やがて発見する。教会で占星術を禁止した人は、残念ながらそこまではいかなかったのだろう。
これが、自分の人生での結論だね。修道院は占星術を禁止しているが、私は修道院には入らず、占星術は続けている。別に教会に弓を引いたりするつもりはない。単にそういう事実が確かに存在するというだけのことだ。