先日一度、玄米を炊いてみた。斎の最中で肉や魚がないし、ちょっと栄養のあるもの、ということで。
ちょっと固いというのはあるんです。だけど、まあ、おいしくいただきました。
そのあと、精米したお米もあるので、今度はまた白米を炊いた。
それで思ったのですけれど、玄米を食べ慣れると白米は、どういったらいいでしょうかね、インパクトがないというか味気ないというか、必ずしもいいものに感じれらなかった。なんか、極端な表現をするとノリみたいというか。実際ノリってそうやって作りますしね。
前に聞いた話で、権現様、つまり徳川家康公は、玄米ご飯を何回か咀嚼して食べていた。それがあの、当時としては、長寿だった秘訣だというわけです。それから、江戸時代のある時期に白米が食べられるようになって、そのときに脚気が増えたということも聞いたことがある。ビタミンB2が不足するとか何とか。
何で白米が食べられるようになったんだろう?歯が悪い人でなければ玄米でもいいのではないか?
当時のコメの味が現在より悪かった可能性はあると思う。一方で、ご飯が食えるということはそれはそれでありがたいことだったとも思う。
玄米のほうが調理に時間がかかるということもあるかもしれない。
それから精米環境というのもひょっとしたら変わったかもしれない。今のような電気やエンジンで動くモーターみたいなものはないわけだから、精米ということなら多分水車だろう。だが、水車だってどこにでもあるわけではないだろう。誰かがそれなりの技術でちゃんと作ってそこに設置しなければ、精米することは出来なかったはずだ。まして、急速に発展した江戸の街中で白米が食べられるということが流行るということは、何かそれなりの施設ができた可能性がある。
あるいは、偉い方が白米を食べるようになったのかもしれない。逆に糠がいろいろな場面で必要になったからかもしれない。
なんでだろうかね。
最近、玄米で甘酒造っているのですが、白米で作るよりもおいしいです。
灸太郎さん、こんにちわ。
いろんなことをしておられますね。おいしいというのは興味深いですが、私は甘酒だけはどうしてもだめです。
あら、そうなんですか。まあ好みがありますからね。
家内もあんまり好きじゃないみたいです。酒粕料理も粕汁くらいですかね。