春のお彼岸が終わりましたね。
先日、母方のおうちの墓参りに行って、ふと気が付いた。戒名板が立てられていて、私の祖父と、隣の仏さん、確か、幼くして亡くなったが、生きていれば私のおばだっただろう方だったと思うが、その方の死に日が同じだった。単に月命日が同じだけではない、戒名板に並んだ日付が年が違うだけで全く同じだったのです。
祖父の死については、いろいろ事情があって気にかけてはいた。しかし、もう一人の仏さんについては今まであまり聞いたことがない。
ただ、こういうことって、自分の周りでは今までよくあったのだ。
まず、曾祖母の死に日。彼女は非常に心残りになることがあって、それからしばらく一族の死に日や誕生日が、月は違えども、曾祖母の死に日と同じ日付だった。生き死にがすべて月命日だったわけです。この曾祖母の心残り自体はその後解決したので、その後はそういうことはなくなったのだが。
もう一人近親者で、そういう例がある。そのものは、自分が働いてきたお店のずっとお世話になっていた人が1年前に亡くなったちょうどその日に亡くなったのだった。
前に友人からこういう話を聞いたことがある。あるご夫婦がいて、奥さんの方だったかな、旦那さんの寿命みたいなものが占いか霊能者か何かわからないけれども、正確にわかってしまった。何年後の何月何日に死ぬというわけだ。
それで、この奥さんはなんとか旦那さんを長生きさせようと散々あれもこれも尽くした。その努力の甲斐あって、約束の日は過ぎた。旦那さんは、予言された日から10年後の同じ日に死んだ。
私はその話を聞いた時、その話を信じた。というか、作り話だとかそういうことは考えて見なかった。
一方で疑問にも思った。カレンダーなどというものは人間が恣意的に作ったものだ。例えばそれが3月12日だったとして、来年の3月12日も今年の3月12日と全く同じ位置に太陽があるかと言えばそうとは限らない。閏年があったりするから、自然条件としては1日ぐらいずれたりするだろう。たまたまグレゴリウス暦でその日付だったとして、それが死者にとって何の意味があるというのか?
東洋の占い的な観点からでもそうだと思うのです。占い師の人は、たとえば多分同じ十干十二支・九星の日であれば、そこに同じ意味を見て取ると考えるだろうと思うんです。しかし、同じ日付というだけなら、今年丑の日でも来年は卯の日かもしれないし、今年己の日でも来年壬の日かもしれない。それが何か占い的な意味合いで、やっぱり壬の日だったというのなら、わかるかもしれない。
しかし単純に「3月12日です!」ということだとそういう意味はないわけだ。
そうではあったものの、私はその話は別に疑わなかったので、その疑問はこころの中にしまっておいた。ところが後で聞くと、うちの家系はそういうことだらけだったわけだ。
こういうの、どう考えたらいいもんでしょうかね。死者の側が、生者のカレンダーに合わせて「おい、わたしを思い出してくれ」と訴えたり、あるいはお迎えに来たりということがあるということか。