前にもブログで書いた覚えがあるのだけれど、自分は個人的にはいままで、バターとマーガリンを使える環境では、出来るだけバターを使いたいと思ってきた。バターだと飽和脂肪酸でよくないというのが世間一般のいわば常識だ。
しかし、自分がそれでもバターがいいと思ってきたのは、
- バターは世界の複数のエリアで何千年、ひょっとするとそれ以上にわたって、伝統的に使われてきた食材である。東欧、ロシア、中東、地中海、インドなど多くの土地で当然の食材だった。そういう多くの土地で当然の食材であるものが、徹底的にわるいものだというのが信じられない。
- バターはちゃんとおいしいということ。人間の自然な味覚・嗅覚に訴えかける。自然の状態での人間は味覚や嗅覚で自分に適したものを判断するわけで、これほど美味なものがそんなに悪いというのが、これも今一つ信じられない。
- マーガリンは人工的な食材であり、製造過程でアルミなどの金属が使われるという話も聞いた。100年にも満たないような新しい食材を手放しで信じる気にはなれない。美味しさで言っても、圧倒的にバターが勝っている。
というようなことである。それでも、油単体をとれば、植物油のほうがいいのだろうな、と思ってきた。
ところが、最近油の情報なんかを見ていると「サラダ油は危険」「植物油を人間が食べ始めたのはごく最近」「サラダ油はアルツハイマーの原因になる」「動物性の油は何ら問題ない」といった情報が飛び込んできた。
実際自分は少し前から、テレビの言ってるのを真に受けて、アマニ油だのエゴマ油だのを買ってきて、ちょっとずつ使いかけていたところなのだけれど、野菜にかけたりするのはわかるとしても、今まで一般的に使ってる油、つまり炒めたり揚げたりする油とどういう関係で使えばいいのかさっぱりわからなかった。揚げ物の油がそもそも認知症の原因になるなんてのは大問題だよ。今更、ラードを買ったほうがいいわけ?
さて、そうした人々の中に武田邦彦さんもいる。彼もそういうことを取り上げて話をしている。
で、自分は彼が言ってることを聞くと「それ、ほんと?」と思うので、彼の引用元のデータが調べられないか、追いかけるようにしている。
ところが、これが大変なんです。武田先生のご主張というのは
- 高血圧は問題ない。
- 塩分摂取をあまり控えるべきではない。
- サラダ油は危険
- 動物性の油は問題ない。
- 油はある程度摂取したほうがよい。
- コレステロールはある程度高くても問題ない。
- 悪玉コレステロールなんて言うのはデタラメ。
- 牛乳は健康によくない可能性がある。
とか、いちいち世間に広まっている常識に異を唱えるものになっている。そして、彼はどうも割とちゃんとデータをとったり学者さんの研究を調べたりしている。ちゃんと参考になることを仰っていただいているわけですよ。
でも、彼は聞く人がわかりやすいようにという配慮からだろう、音声を10分ほどにまとめるようにしている。探せば元のデータは大抵あるにはあるんだが、素人が追いかけるのはなかなか大変なんです。
多分学者なんてものはそんなもので、「これは実験で確認されたからわかりました」なんてのを事細かに説明したりはなかなかしないんだと思う。自分の研究室の学生さんにはちゃんと教えるんだろうけどなあ。
明らかに、いくつかは目から鱗が落ちるような情報です。
ただ、武田先生の中では、いくつかのことは、世間の常識に反していようが、データ的に確認されているから正しいのだ、というのが段々いくつかの前提条件になって積もって行ってるわけですよ。だから、一回の動画を聞いて、コレステロールの話をしながら「血圧は150ぐらいあっても問題ありませんね」なんて言われても、その血圧の話をしているのはどこか別のところでの話だから、どこまでその話を信じていいものか、判断がつかないわけだ。
これは逆も言える。世間には様々な常識があって、ある常識の上に別の常識がのっかっている。
世間的には「血圧は140以上は病気だ」ということになっている。高血圧が病気だから、食塩も少なくなくてはならない。高血圧がダメで、コレステロールもダメだという前提のもとに、牛や豚の油はダメだということになる。
それが、実にいろいろなものによって、支えられている。
ほら、牛乳協会が先生がチョークを投げたら、牛乳を飲んだ子が数倍のチョークを投げ返すみたいな宣伝があったじゃないですか。あんなのしても、我々にデータ的な前提を示したわけではないが、我々の潜在意識の中には「牛乳を飲む子は強い子になれる」みたいな先入観が出来上がる。その、正しいにしろ間違っているにしろ、膨大な「共通認識」の上に「これが正しいでしょ?」といのが乗っかってるわけだ。
そうすると、世間的に、真っ向からそのレイヤーの上にのってる意見に反対意見を述べるのは得策ではないということになってしまう。仮にそれが間違っているとしても、それを正すのは大変なのだ。
たとえば100人の人がABCDEということを信じていて、そのうちの一人がabcdeのほうが正しいと分かったとする。彼はまず99人目にAではなくaだと言おうとするだろう。しかし、その人はaは正しと思ったとしてもBが間違いでbが正しいということは信じていない。そしてBを信じている人は、なかなかAやCが間違っているとは思わない。
というわけで、この100人がABCDEからabcdeになるのは、本当に大変なことなのだ。そうすると、どれが有益な仕事なのか。どの情報を強調すれば、人々は正しい理解を得るのか。
本当にこういうことって起こっていると思う。