自分で聞くために自分で録音した本で、ドンファンが忍び寄りについて話す画面がある。戦士は自分に忍び寄るために死を使う。それを嫌がったカスタネダのために、それが嫌なら詩を使えばいいとドンファンは言う。そういう文章がずっと続いている。
後で聞き返して、なるほどと思える発見のある場所だ。詩を朗読することで戦士は自らに忍び寄る。「忍び寄り」ってなんやねん?ということですが、それは別の機会ということにして・・・
日本語で「死」と「詩」は同音異義語だ。そして1音しかないから、たとえば「橋」「箸」が違うみたいな音の高低差もない。だから取り違えてもおかしくなさそうなものだ。
にもかかわらず、読んだものを聞いて「詩」と「死」を間違えて取ることはない。漢字で書いてあればわかりますよ、もちろん。そうではなくて、単に音として聞いてもその違いが判るのです。
つまり、「死」については、そのあとに続く助詞より「し」の音が高く、助詞で高さが下がる。
一方「詩」については、そのあとに続く助詞が「し」の音より高くなるのです。
我々、こんなことを意識してないですよね。だけど、外国語としてこれを習うとき、他の言語に対しては私たちはこれをやる。どこにアクセントがあるか、どこでどう音の高さをあげ、どこでどう下げるか習う。だから外国人に対してはちゃんと用意してあげないといけないはずだと思うのだけれど、そんなの理論だって説明されているんだろうか?