ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は啓示の宗教といわれ、同じ一つの神を崇めるということになっている。しかし、単純に神は一つだというユダヤ教、イスラム教に比べて、キリスト教は父と子と聖霊の三つで一つの神だと言っている点で違う。
イエスが神であったのか人だったのか、当然いろいろな議論が出た。それがネストリウス派とか単性論とか、比較的初期の分派を生んだ。当然多くの人は「聖書にこう書いてあって、このように成立したのだ」と考えたいだろうと思うが、自分は本当にその考え方が正しいのかどうか疑問に思う。まるで教会は最初から一つの体系的な教えを持っていたかのように思えるからだ。
とにかく、一旦今の教会に伝わる三一神論を教科書的に復習してみる。神の子が来て救いをもたらし、聖霊が使徒におりて教会が始まった。
当初の教会でカッパドキアの三師父の一人、神学者ニッサのグレゴリオスが三つからなるということの不思議を説いた。二つからなるものは分裂していくが、三つからなるものは一つに収束していくのだ、というのである。そして、教会は父・子・聖霊を一つの実体実質を持つものでありながら、3つの位格を持つのだ、と定義された。
そして、ニケア公会議で、信者の告白すべき信仰が定められ、その中では、聖霊は父から出るもの、子は父から生まれたもので創造されたものではない、また子は神性と人性の二性を併せ持つものだ、と定義された。
しかし、カトリックはフランク王国との協力体制を作るという政治的な理由から聖霊は子からも出るという一文をこの中に挿入した。
仏教の三身論(法身・応身・報身)に似ていますね。
究極の霊的存在と現象世界の関係を考えれば、
当然出てくる発想ですね。
シュタイナーのキリスト論は人間イエスにキリストが宿った、誰にも起こりうる。原初のキリスト教はそういうものだったととらえています。仏教の即身成仏、密教に近い発想です。当然異端児扱いされました。
灸太郎さん、こんにちわ。
いま、多分自分はこれを言わなければならないのだろうと思っています。
多分、わかる人は多くはないと思うのです。
異端と言えば異端かもしれない。しかし、幸いにして日本では異端だから焼き殺せばいいというような考えを持つカトリックみたいな宗教が力を持っていない。
自分としては、神棚に教会の教義を祀り上げてしまって、結局誰も理解できないまま忘れ去られてしまう、みたいなことが一番ダメだと思うのです。
そうではないのだということ、非常に重要な真実を伝えようとしていたのだ、ということを言う必要がある。
その真実はいつも目の前にあるのです。
法身応身報身については、私はそれほど詳しくありません。
その材料はもっと検討されなければならないように思います。
たとえばアミターバの説明が聖霊の説明に似ているような気はします。しかし、そんなことが仏教の理論に照らして言えるものかどうかはわからないし、当面私の仕事ではないと思います。
キリスト教。。。聖教の入門書でお勧めのはありますか?
日本人の書いたものでは「ギリシャ正教」(高橋保行著)
神学的なものでは「キリスト教東方の神秘思想」(V.ロスキー著)
ではないかと思います。
ありがとうございます。
>「キリスト教東方の神秘思想」(V.ロスキー著)
何年も前に買って少しだけ読んでそのままです。
おすすめ本ならきっちり読んでみます
灸太郎さん、こんにちわ。
灸太郎さんはわかっていただけるでしょうけれども、それを読んだからと言ってすべてそこに書いてある、というわけではないのです。
ただ、教会が持っている主な問題点について整理することはできると思います。