不幸な事故・事件というのは、確かに生まれ持った星によって起きやすかったりする。そういう事実はあると思う。だが、単に「あるよ」というだけでは、説明したことにならないだろう。
運命というのは、惑星界の影響に対して、地上の何かが共鳴するなり反応するなりして起こること、と考えるべきだと思う。
大きな考え方として、惑星の動き、惑星の影響を我々が自由に変えることはできない。そりゃそうですよね、木星さん、ちょっと止まってて?なんて言えませんよ。そして次に地球規模で起こることは、惑星の影響を受けているとしても、個人では簡単に変えられない。戦争が起こればたくさんの人が死ぬ。個人には通常どうしようもない。
しかし、個人レベルでは、どの星のどの影響を受けるか、というのは、その共鳴状況、影響を受ける物質・・・物質という言葉は誤解があるかもしれない。霊的なものかもしれない・・・を変えることによって、変わる可能性はあると自分は思っている。
占星術の本なんかに載っている表現だと、星はレールを用意していて、私たちはそのレールの上を走る列車だ、みたいなことが書いてありますよね。大方、それでいいと思うのです。
だけど、そう考えた時にどうしても、なんか固定的にその上を走っていて、どこかのポイントでレールを乗り換えなければ、最後までまっしぐら、みたいに思うじゃないですか。
あるいは、仏教的な言い方をすると、一人一人が因を持っていて、星という縁にひっかかるのだ、みたいな説明もできるかもしれません。
言ってることは同じだろうと思う。
あなたも星を自分の中に持っていて、その星と外部の星は対応している。外部の星の影響が内部の星を動かして、結果をもたらす。ただ、その影響を受けるのは、自分を構成する物質だ、と言っておく必要はあると思う。物質という表現は、もちろん誤解を招く恐れはあります。たましいのようなものだったとしても、一応私たちが持っている内部のものということで、物質と呼びます。
その物質と呼ぶというのは、ほら、先日の記事に書いたように、水の結晶が優しい言葉をかけるとうつくしくなるように、人間の物質もそういう何かによって変貌する可能性が出てくるわけじゃないですか。
それから、仮に決まってるとして、いつ決まるのか、というのも問題になるでしょう。生まれる前に決まるのか。どこで決まったら取り返しのつかない状態になるのか。
・・・・文章とりとめもなくなります。たぶんまだ続きます。
ネコです。
不幸な事件、事故は生まれ持った星によるものか、、、。
丁寧なるご対応、深く感謝いたします。
私は、これらの事について、「運命は逃れられないのか」という大きな課題について、
そしてそれから枝分かれしたもう一つは、
人は環境、教育による成果、矯正、などはあまり効果がないものなのか?。
などを考えたわけです。
物質(?)に優しい言葉を掛けたら美しくなる、
惑星界の影響に対して、地上の何らかが共鳴する、反応する、、。
何かが反応する、いいですねえ。
ならば、それはいつ決まるのか?
取り返しのつかない状況とは、何か?
それは煮詰まった状況に違いないと思います。
回避するにはどうすればよかったのでしょうか?
まだまだ続きますね。
ネコさん、
この点については、もう少し深く考えてみたいと思います。