またいろいろ脱線しながらこの話は進むわけですが・・・OK、じゃあ、仮に犯罪を犯してしまうような運命というものが存在していて、なおかつ、その運命というものも絶対的なものではなくて、何らかの仕方で変えられると考えてみましょう。
そうすると、いつなら、変えられるのか。いつ決まるのか。
ま、たとえば断崖絶壁に向かって坂があって、そこを転がり落ち始めたら「ああ、こりゃもうだめだ。この人落ちるな。」とわかる。どこなら止められるのか。どこで決まってしまうのか。
考えようによっちゃ、どこで止められないってことはないですよ。案外どこかの岩の出っ張りに服が引っかかるかもしれない。誰かが紐を投げて間一髪でつかむかもしれない。しかし、仮にそういう可能性があったとしても、坂を転がり落ち始めたら、まあ無理だ、という判断もできるかもしれない。では、どこがその坂を転がり落ちるタイミングなのか。
たとえば30歳で殺人をしてしまう人がいたとして、26歳で被害者と知り合ったとしたら、26歳が分岐点なのか。それとも5歳ぐらいのトラウマが原因なのか。それとも、生まれる前にすでにそういう要因があるのか。生まれる前だとしたら、それは東洋人が言うように前世の宿業なのか、それとも祖先の犯した罪なのか。それとも星の影響か何かで、一定数はそういう不幸な運命に生まれるのか。
で、自分はそんなことははっきりわかるわけではありませんが、決まるのは多分かなり前なのだろうと思います。
ヘロドトスの歴史では、ペルシャに負けてあわや処刑されるところを奇蹟的に助かったクロイソスの話が冒頭に書かれています。現在のクルド人の祖先にあたる人々が小アジア半島にリディアという国を作った。そこの王様です。ヘロドトスの5代前のギュゲスという人は、これもまた不幸な事情ではあったのかもしれないが、自分の王を殺して自ら王の座に就いた。この人は自分が王として認められるかというのを、デルフォイの神託にお伺いを立てたところ、アポロンの神は(ということは現実にはデルフォイの巫女さんがお告げを得て言ったということですが)王として認めるけれども、その王の位は5代しか続かないと告げた、というのです。
ということは、その人の不幸は5代前に決まるということ?5代ってことは、普通100年ちょっとはあると思う。
で、個人的には、自分の家系のこととかを考えてみても、これはあながちあり得ないことではないと思う。自分がいろいろ目にする出来事は、4代、5代前の先祖の話といろいろ重なる部分はあるように思います。
マハアヴァターと呼ばれるババジ・・・1800歳かになられると思いますが、ご存命と思います・・・について、このような話が伝わっています。あるとき松明を焚いていると、ババジはそのたいまつを取ってお弟子さんの腕を焼いてしまいました。驚いたほかのお弟子さんが、「何をなさるのですか」というと、「お前は前世からのカルマに従って、この男がこの場で焼け死ぬのを見るのがいいのか。」といい、手を置いて腕の焼けたお弟子さんを癒され、「これでお前のカルマは成就した。もはやこのカルマに苦しめられることはない」というと、キャンプをたたんでその場を去って行かれた、とか。
いずれも、劇的な、書物の中でしか確認できない出来事ですが・・・わからない、ババジはヒマラヤに行ったら会えるのかもしれない。Youtubeに映像が上がる時代だもの・・・そういうことです。坂道の途中で絶対止まらないとは言えないけれども、転げ落ちるのが決まるのはだいぶ前なのだと思います。
ネコです。
丁寧なご回答、ありがとうございます。
犯罪を犯してしまうような運命、断崖絶壁に向かって転がり落ちる運命、
どちらも何らかの仕方で変えられる可能性がある。
その運命はどこから始まるのか、ということですよね。
私自身も、だいぶん以前に決まるのではないかと思います。
(100年、5代というのは一つの切なんですかね。この度、我が家系も一応、5代で幕を閉じようと
しています。)
犯罪を犯してしまうような運命、暴力を振るってしまう運命、
それらが先に決まっている、理由は解らない。
先祖の犯した罪故、前世の業、聖書ではこう主イエスは答えています、
「神の業がこの人に現れるためである」
しかし、殺人まで犯してしまう運命、は止められなかったのか?
運命は変えられると私も思います。
私が長年、疑問として持っている「人は教育、あるいは環境によって、持って生まれた性格を変えることができるのか?」
「あるいは、例えば犯罪を犯す運命を持った人を環境によって犯させないで済むことは可能なのだろうか?」
これらの疑問も、この「運命は変えられるのか?」ということと共通しているような気がします。
ある程度は変えられるのでしょう、そう思います。しかし、どうやって?それはいつ始まった運命?
それらのすべてを知ることは、人には許されていないのかも知れません。
ただひたすら、大いなるものを仰いで行くしかないとは思います。
ネコさん、こんにちわ。
この話題は、今後何度となくこのホームページでも繰り返されることになると思います。