時間に正確というのは、世の中一般で正しいこと、褒められるべきことだ。たとえば日本の鉄道などは時間に正確なことで有名になった。
だが、いつごろから、時間に正確なことがいいことだといわれるようになったのだろう。
モンテクリスト伯の中で、伯爵が初めてパリの社交界の面々、昔の因縁の相手に会うとき「約束の時間に2~3秒遅れたことをお許しください。」といって登場する場面がある。そんな時代にまるでクォーツ時計があったかのようなセリフに一瞬違和感を覚えた記憶がある。
江戸時代の終わりごろ、日本を訪れた外国人の記録では、日本人に時間に正確なことを求めることは無理だ、という記録がいろいろあるらしい。つまり、日本では江戸時代までは時間に正確なことは求められていなかった。
私の今いるところは江戸時代じゃないんだけれど、この片田舎では似たようなことがある。時間がアバウトで、集合時間などを決めると皆やたら早く集まる。私自身もそういう傾向がある。つい30分も早く集まってしまう。
一人都会に出た時に、3時に約束すれば、先方が掃除や片付けが済んでいつでもお茶が出せるような3時1~2分過ぎに訪問するという考えがなかなか受け入れられなかった。みんながそうとは限らないが、いずれ都会の人間は忙しいのだ。
携帯ができて、ますますそういう傾向が強まった。携帯がなければ、やむにやまれぬ事情で30分遅れたとしても、「ごめんなさい、途中で事故に会ってしまって…」ということができるのだが、携帯があると一応連絡しないといけない。
思うに時間に正確だというのは、時計の発達・普及とともに徐々に根付いた習慣であって、あるいは人間にとってどうしても必須の習慣というわけではないのかもしれない。
本当は別のところにツボがあってもいいのかもしれない、とも思う。占星術なんかはじめてしまうと、「今日は朝駆けOKの日だな」「今日はたぶん相手は午後のほうが時間がある」などという判断があってもよさそうなものだと思う。