最近ニュースで「可能性もある」とよくつかう。今日はひったくりのニュースをやっていた。自転車に乗っている若い女性を後ろから近付いてきて荷物をひったくる事件が3件続けて起こった。警察は「同一犯の可能性もあるとみて調べている」らしい。
普通に考えると「同一犯の可能性『が』ある」と思う。
たとえば「犯人は背が高く、このあたりの土地勘のある人間らしい」に続けて、「犯人は女性の可能性もある」というのなら、わかる。その場合の「も」は前の様々な可能性に加えて「この可能性もある」という意味だから。
「可能性」と言った時点で100%ではないわけだ。30%ぐらいかもしれない。
「同一犯の可能性がある」と言えば、ま、違うかもしれないが、どうやらこいつは同一犯なのではないかと疑っているということだ。
しかし、「同一犯の可能性もある」ということはその疑わしさはずっと低くなる。かなりの可能性で同一犯ではないと思われるが、まあ、仕方がない、そういう可能性もある、みたいに聞こえる。これおかしくない?
裁判の「疑わしきは罰せず」と同じで、建前上は「低い可能性」を採択するんじゃないんでしょうか。
決めつけはよくないよ、的な。
あめさん、こんにちわ。
そうなのかもしれません。ちょっと不自然な感じはします。