夢の中で手を見つけることができると、ほかの体を認識する。肉体と同じような、対になっている身体だ。一番驚くのはリアルなことだ。
最初に夢の中で手を見つけた時は、当時の住宅から近いところにある墓地と住宅と田畑が集まっている一角の夢を見ていた。薄暗く、オレンジの明かりがともっていた。そしてそこで手を見なければならないことに気が付いて、両手を前にかざしてみたのだった。
そしてその後、起床したかのように部屋の光景が見えていたが、何か恐ろしいことが起こっていた。誰かがいて何かを言っていた。その後本当に目が覚めたのだが、しばらくめまいが止まらなかった。
その後何日か、夢は途方もなくリアルなものになった。次の日は何か和室が夕日に照らされいる夢を見た。また、別の日には巨大な建造物を見た。何かの社のようなものなのだが、その立っている地面も建物も、現実的な距離感では考えられないほど大きなものだったが、しかし、像が鮮明なので圧倒されるようなものだった。
夢見は身体が重たく暖かく、心地よい宙ぶらりんになっているようなときにそこに入ることができる。そして、夢の中で手を見つけると、その別の体の中にいる。場合によっては夢を見ながら、肉体のことも意識している。
夢見をやっているのは、意図を学んでいるのだ、とドン・ファンは言っている。普通の人は夢は寝ている間に見る妄想ぐらいにしか思っていないかもしれないが、夢というのは別の体の働きで、夢の中で命じることができるということは、その体を制御する力を得るということだ。夢は別の世界につながっている。
なぜ、自分がこんなことを書いたかというと、昨日初めてほかの人が同じことをやったに違いないと思ったからだ。
自分では多分、自分にはこの方面の才能はないと思っている。若いときから所謂霊的なものが見えたりカラーのリアルな夢が見られたりするような人はわんさかいると思うし。特に女性は。だが、そういうことが起こった時に何が起こっているのか、普通は説明が手元にないのだ。