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人類はその知識を支えきれなくなるだろう

現代人の多くは「誰それが何とかの真実を発見した」という。フレミングの右手の法則とかなんとか。そして一度発見されれば、その知識は確実なものであると思っている。

だが、私はそんなことはないと思う。それは比較的多くの人が知っていて、社会体制の中でそれを答えられる機関が存在するから、真理があると思っているだけだと思う。
もし誰も理解できる人がなくなれば、その知識は失われる。いや「誰も」でなくてもいい。その知識を所有している人がいる権威が社会的に失墜したり、それを知っている人がある割合を割ってしまえば、その知識が真実であることを人々は信用しなくなる。それが完全に証明される知識、わかっている人には自明の知識であったとしても、1割の人しか知らないような事実は、あるいはすでに失われたと言ってもいいのかもしれない。

 

結局、真理というのは、私やあなたや誰か一人の人が、その人生で知り得ることに過ぎない。あなたが知ることができない真理は、あなたにとっては存在しないも同様だ。

 

ソロモンの有名な裁判がある。一人の子供を二人の女が自分の子だと主張する。それでソロモンはその子を2つに切ってそれぞれに与えよという。すると一人の女はそれでよいと言い、もう一人の女は私はいいからその女にやってくれという。するとソロモンは本当の母親は子供を切り分けることなど耐えられないから、その女のほうが本当の母親だと判決を下す。

大岡裁きとか、ソロモンの裁判というのは、判断結果が誰にでも納得できる事実から比較的早く導き出せるという前提に基づいている。

もしここで、「本当の母親でも2つに切ることに同意する場合がある」と言いだしてしまうと、この裁判は成り立たない。

 

ところが今の世界は「本当の母親でも自分の赤ちゃんを二つに切る場合があります」というようなことがいくらでもある。テレビにそれらしい専門家が呼ばれて、「実はこうでございます」ともっともらしく言う。

たとえば原発に関すること、例えば健康に関すること、こうしたことはもう何が本当のことなのかさっぱりわからなくなってしまっている。

そして、恐らく多くの他の知識もそうなる可能性があると思う。ブラックホールの写真が取れました!昨年ニュースになった。しかし、多分ブラックホールの写真が取れなかったとしても、ほとんどの人の明日の生活には関係ない。
大きな研究施設を建造して、ある人は何かの事実を発見した。しかし数百年後の歴史書には「かつてそのような大きな設備があったと言われる」と書かれるだけで、もはやだれもその真実を確認できなくなっているかもしれない。
ノーベル賞の吉野先生は偉大な発見をしたかもしれない。しかし、ひょっとすると銀板の写真を作るとき、LPレコードを作るとき、ブラウン管を作るとき、先人が吉野先生のような大きな発見をしていたかもしれない。しかし、レコードや銀板の写真やブラウン管のテレビはなくなってしまった。

その知識が明日あるとは限らないのだ。

いま、知識はあまりにも分野によって膨大なものとなってしまい、それが決まった数の人間によって支えられるということは、自分は確証はないと思う。ある日何かのきっかけで、そうしたもののすべてが失われてしまうということはあり得る。

 

そうすると、「私が一生のうちで自分のために自分で知りえることは何か」と考えることはとても重要だ。
そして、宗教とか占星術というのは、そういうものにはるかに近い。人々はそれは何か神秘的な、あり得ないことだと思う。それは間違っている。ブラックホールの知識は失われてしまうかもしれないが、宗教が伝えるような知識は、多分一般の人でもわかってもらえるかもしれない、と思って伝えられている事柄だ。

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