城南海という歌手をものまね番組で見て、とてもうまかったので検索してみたら、この人は奄美民謡の歌手さんだった。
なんでもグインという裏声の混ざった独特のこぶしを使いこなすことができるというのが、奄美民謡歌唱の特徴で、好き嫌いはわかれるだろうが、たいていの歌は元の歌手よりうまく歌っている!でも、この人自身のヒット曲が世間を席巻したかというと、そういうことはないわけです。シンガーソングライター、というわけでもない。
歌手の条件ってなんだろう?歌ってなんだろう。持ち歌がないと、歌がうまくても歌手とはみなされない。歌がうまい人は、カラオケ選手権みたいなので次から次へ生まれてくる。一方で絶対的なヒットというものがなかなかない。何がおかしいのだろう?
スター・ウォーズを見た。映像技術、CG、あらゆるものがどんどん大きく進化している。そうであるのに、肝心要のストーリーは何一つ練られたものがない。マーケティングがどうだとか、興行収入がどうだとか、そういう基準だけが独り歩きしている。これはアナ雪でも思ったし、多くのハリウッド映画で感じることだ。その点、ジャパニメ起源の映画なんかのほうが、個人の考えが色濃く反映されている分新鮮に映る。
昔の特撮映画だと、船の爆発シーンなんかは、明らかにミニチュアのセットで、水しぶきが上がるところなんか「うわー、洗面器だ」みたいな水しぶきだったりするが、それでもストーリーがしっかりしていれば観客はおのずからその話に引き込まれる。
そう、中国の拳法映画だって、今はみんなワイヤーアクションだ。昔の少林寺木人拳とか、明らかに今ほどの質はないが、しかし、そのストーリーが昔の良き中国の伝統を彷彿とさせていて、話全体としては渋く味わうことができた。
文学はどうだろうか。やっぱり日本の文学者と言えば、たとえば夏目漱石なのではないか。鴎外でも太宰でも芥川でもべつにいいよ。引きも切らずに、新しい作家が生まれている。彼らのうちの誰かが、夏目漱石でもいい、ビクトル・ユーゴーでもいい、レフトルストイでもいい、世界的な作家を凌駕するような大作家になっただろうか。
昔、人々に田んぼがいきわたっていて、庶民も生活の余裕のあった時代、万葉集が作られた。そこでは見た人が見たままの感動を歌った。しかし、藤原氏の政治になって貧富の差は雲泥の差になり、和歌は貴族の一部の人が歌う形式的なものになっていった。
今、世間のものを見ていて、同じことが起こっているんじゃないかと思う。文化って退行するんだ!みたいなことを思う。何が悪いわけじゃない。世間にあるものが浸透し、広まり、洗練され、そして形式化していく。
スターウォーズ見たくてモゾモゾしています。でも貧乏すぎて映画はひたすら我慢..
宇多丸がスターウォーズを高評価したけど、ミッションインポッシブルよりは下っていったとか
ミッションは見たのでどういう事なのか、と頭をひねります。
ボックスオフィスでは世界1位の興行収入確実とかhttps://twitter.com/boxoffice
でも、実際管理人さんのように面白くないって人もいる。世界単位で賛否両論おきるって平和だなぁって思います。
羨ましい参加したい結局それに結論が帰ってきてしまうのですが
りんねさん、こんにちわ。
先に楽しんでしまってすみません。
今回はたまたま街に出たときに用事が早く済んでしまって、レイトショーぴったりだったのです。
ミッションって、最初のやつしか見てないし、宇多丸さんみたいにたくさん映画を見たわけじゃないですが、だんだん腹立ってきます。
間違いなく、確実に劣化していますよ。