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家族の死

占星術中のプログレッションには、家族の誕生や死が示される。

ちょっと考えると、おかしく思う人もいるかもしれない。その人のホロスコープなのに、なぜ家族の誕生や死が表示されるのか?

それがおかしいというのは、占星術というものがあなたの体の中に刻み付けられた物質的な何かだ、という考えだからおかしいと感じるのです。占星術はそういうものではない、別の法則を表している、ということになりましょう。

 

ネータルの月や金星と主要な星とのアスペクトは、おそらく女性の家族についての何かを表している。月とASCがトラインやセクスタイルを形成するときには、例えば女児が生まれる、スクエアやオポジションだと母親の死だったりする、というわけだ。逆に太陽などは父親を表すことになるだろう。だがそれがいつも同じとは言えないと思う。

自分はASCが月とセクスタイルになる年に妹が生まれた。
しかし、兄もいたわけである。私だけ何かアスペクトがあってもおかしいのではないか?
今確認してみると、兄のホロスコープ中では1度ほどのオーブはあるものの、ASCが金星にセクスタイルになっているようである。

 

一方、私の進行するASCが太陽とオポジションになった年に、私の父はなくなった。自分は、これは全面的にそんなことが起こると思っていたわけではなかったものの、ひょっとしたらそういうことが起こるのではないか、と思っていた。そして、私の危惧したことは起こらず何事もなく一年が過ぎようとした年末に、父は倒れてあっという間にこの世の人でなくなってしまった。

しかし、今度は兄も妹もいたわけで、自分のホロスコープ上でだけやたら規則通りのアスペクトができているのも変ではないか。

兄のホロスコープ上では、なぜかASCが第5ハウスを支配する12ハウスの火星にセクスタイルになっている。

妹のホロスコープでは、MCがASC上の太陽とセクスタイル、また第4ハウスの月とクインカンクスになっている。月は第4ハウスを、太陽は第5ハウスを支配している。

 

父が亡くなったとき同居していたのは私だけだった。長男ではないのだけれど、あれやこれやのめぐりあわせでたまたま私は父と一緒にいたのだった。

妹は他の家に嫁いではいるのだが、割と近隣にいて、家庭を支配する星とアスペクトがあるのはわかるような気がする。

兄はその点不思議に見える。だが、兄は両親が田舎に帰ってほしいという願いとは反対に、都会で別の一歩を踏み出したところだった。多分「第5ハウスを支配する12ハウスの火星」は、彼にとって意味のある配置だった。たぶんね。

 

そういうわけで、多分「父だから太陽!」「女の子だから月!」という風に定式化できるものでもないのだと思いますね。その時のその人の人生の意味において、それは何かを表している、と考えるほかはないでしょう。

その時、期せずして一緒に暮らしていた私にとって、父はもっとも父だったのでしょう。

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