運命は決まっているか。
何度も何度も人が問う質問。
だが、そこには、自分が運命から逃れられる、という前提がある。
「私」は何からも自由だと思っている。
だが、そうではない。
運命が絶対ではないと思う。
変わり得る。
だが、運命は普通の人が想像するより無情である。簡単には変わらないと私は思っている。
生命は、偶発的な生成物ではない。
科学的な考えを押し詰めれば、地球上に突然あなたがいる。そんなことはありえないことだ。
「私」自身がある運、運命、命、カルマの元に、ここにいる。
あなたの生命は、あなたの生命を支えるもっと大きな法則の元に、そこに存在していいよ、と言われているということだと思う。
逆に言うと信仰と運命は矛盾しない。運命を知って、信仰があって良いと思う。信仰は何も無知の上にしか成り立たないなどと宣言する必要はない。
占星術は、運命を抽象的な哲学の世界から具体的な現実に引き摺り下ろす。お前はこういう運命がある。いやだ。いやなのにそうなった。なぜなのか。
占星術はあなたの身体的特徴を言い当てる。家庭状況を明かす。結婚相手の性質を教える。先々のいやなイベントを予告する。
絶望的な運命、一見どうしようもない運命。そういうものが信仰と矛盾しない。それがあるからこそ、信仰があってもよいと思う。
そういうことでなければ
「泣くものは幸いなり。彼らは慰められんとすればなり」
ということはあり得ないように思える。