人様の運勢を見せていただきながら、自分の運勢なんてものは毎度気にかけているわけではない。やっぱり苦しいときは見たいと思うんだろう。だけど、ずっとそればっかり見ているわけじゃないもの。
最近ロシア語とかやっているというのは、ブログをご覧の皆さんはご存知かもしれない。
いいじゃないですか、どうせ一つしかない頭、一回きりの人生で、何か役立つことに頭を使いましょうって、ね。
そして、その契機になったのは運転だった。自動車に乗っているときに、CDをかける。そのCDをかけるのを聞くと自然に覚える。どうせ覚えるなら、役に立つことを覚えようじゃないか。じゃ、新しい語学の一つもやってみよう。
それでずっと一人聞いていたけど、それでは面白くないから、県のやっているロシア関係の催しに顔をのぞかせるようになった。
それだけのことだ。それだけのことといえば、それだけのこと。
それだけのことだけれど、毎日10分でもテキストを見て、1月に1回か2回もそういう集まりに顔を出すということになると、少しずつ重心が出来てくる。やらないとダメ、みたいな。焦ってする必要はないが、頭の中で一定の位置を占めるようになる。
でも、あとで考えてみると、こういう変化が起こるということは、当然何か星が示しているものがあるはずだろ?お前は人様にはそういうことを言いながら、自分のことは省みていないのか?
それで今更「ええっと・・・」と思って年表を出してみた。
すると、この5月からASCの9倍音が射手に入る。射手というのは外国のこと、スポーツ、法律、思想などに関係している・・・いやまあ、まさにその通りなのだ。ある意味、この時期射手に入るというのは前からわかっていて、「この時期また外国とビジネスでもおっぱじめるんだろうか・・・まさか」みたいな感じで思っていたことがなくはない。なくはないけど・・・。
何とも言えない気持ちだねえ。自分は今の時期こういう時期であるはずだから、語学をやりましょうとか思ったわけではないのだ。たまたま、「あっ、いいかも・・・」ぐらいのノリで始めたことなのだが、それが運命的に予測できたかもしれないことだと思うと、ある意味嫌な感じもする。
この射手の時期が過ぎると、ASCの9倍音ではなくて、ASCそのものが新しいサインに移る。来年も含めて、その前後にいくつか特徴的なプログレッションのアスペクトがある。そのことは以前から意識しているので、先々の漠然とした不安感やこのままで何も変わらないのではないか、みたいな恐れはなくて済む。それは本当です。