暗い中で、明かりを探す。すると夢の光景が広がる。ある瞬間、自分が夢の明るい光景を見ていることに気がつく。そして、手をかざして手を見て、ほかの景色を固定する。しかし、この手たるや、指が4本しかなかったり、プクッと太かったり、長さが一定しなかったりする。
その場ではその通りに光景が続いている。そして自己意識を持っている。
自分は寝ていて、夢を見ていると知っており、その光景を持続させようと注意力を集めようとしている。
夢の中で自己意識を持っているときに、体が眠っている必要は必ずしもないのだと思う。肉体の感覚というのは持っていてもかまわない。脱力した、独特の状態にはある。だが、それも一時的なものに過ぎないかもしれない。
通常起きているときの自己意識はそれはそれで連続しているが、夢の中のものがそれと一緒ではない。一緒ではないにも関わらず、ちゃんと一貫性を持ってその世界の中にいる。
昔ユングの心理学の本なんかで、自我に対して自己というのがあった。Selbestだったかな。占星術などで知りえるある程度の生まれつきの傾向・運というようなものはあるにしても、あの自己なんてものは実体のあるもんじゃないだろう。そこに中心があるわけじゃないんだ。
だが、夢が追いかけられるようになると、あの広大な自我を超えた領域に意識の明かりをともしたように感じる。
どうやったら、スパッと見ることができるのだろう?宮古のユタさんが言っておられるような、カンダーリのようになるのだろう?
そこであれこれ考えちゃいけないんだろうと思う。一旦、あちら側に明かりがついた。そして、次からも明かりがつくようになる。次第にその道筋が出来る。自分の意志の流れる方向が、日常世界からあちらに向くようになるに違いない。まあ、あせらずにやるしかない。