他の教会さんは4月4日で復活祭ということですが、正教では今年は5月2日が復活祭で、いま斎(断食)の最中です。肉や魚や卵、乳製品は食べません。私も今大体豆腐とか菜っ葉とか豆とか芋とかで食べるようにしています。
ただ、キリスト教の断食は年がら年中ではなくて、決まった期間だけだし、絶対的なものではありません。やらない人もいます。
金口イオアンの説教にも「斎せし者及び斎せざりし者は今日楽しめ。」と言っています。これ、イスラムとかでは、ないですよね。「あなた断食してないの?OK。じゃ牛を食べましょう。一緒に復活祭をお祝いしましょう!」そんなのありですか?ありなんです。
主ご自身が「何を食べた、何を食べていないと思い煩うな」というご方針でしたからね。彼はいつも本質と内面を重視した。
最近思うのですが、こういうやり方の斎だと、食に対する禁忌というのと、また違うんですよ。イスラムの戒律の厳しい地域、たとえばアラブなどの方で、その鍋で豚肉を料理したことがあったら、もう使ってはダメだ、みたいな人がおいでになるようです。
多分、そこまでやっても、それは大した意味はないと思う。洗えばいいんじゃないの?洗うのがダメなら、アルコールで消毒するとか、一度ガスで熱して金だわしで磨けばどうですか?
出汁なんかは微妙なところで、本当は魚から取ってるからダメはダメだと私は思っています。自分で作るときはエノキとか昆布とか野菜のきれっぱしで十分おいしく汁ができるからそうする。
本当は肉や魚や乳製品がダメだということになると、世間には微妙なものがたくさん出回っていて、牛の骨からゼラチンができるならゼリーはダメじゃないかとか、バターの入ったお菓子はダメじゃないか、脱脂粉乳が成分に含まれていたらどうだとか、一杯あります。
しかし、家族・親族が、こちらが斎をしていると知ってはいるものの、野菜や豆腐だけの汁によかれと思ってか習慣か知らず、かつおやあごのだしを入れてしまったらどうするのか。そこまで、相手の善意に反してかたくなに食べないのがいいのか。これは自分は頂いたらどうかと思う。それが抜け穴になってしまって、本来の趣旨から離れてしまってはいけないが、そういうことが起これば許容していいのではないか。
ところが食の禁忌ということになると、他の宗教では絶対的にダメなものはダメなのです。ヒンドゥー教徒は牛は絶対ダメ。イスラムは豚やイノシシや味噌やみりんは絶対ダメ!ユダヤ教の人たちなんかはもう訳が分からないほどあれはダメこれはダメと決まっています。
たとえば、現代栄養学なんかで、「これがいいですね」「こういうものを中心に食生活」みたいな話になったときに、青魚が体にいいから肉は絶対ダメとか、そういうことはない。有効なものというのは、絶対的な禁忌というのとは違っている。
キリスト教の場合、期間が終わればそれはご馳走として食べるわけですよ。
だから多分キリスト教の断食というのはいいのだと思う。ある程度そこで工夫もする。ある程度そこで身体的な感覚も変わる。2か月食べないと確かにだいぶ感覚変わってきますよ。でも、豚を焼いた鍋を捨ててしまうというわけではない。いいんじゃないかと思いますね。