タコの予知についてコメントをいただいたわけですが、私自身も考えるところがあります。
決勝トーナメントで、2代目ラビオ君はベルギーVS日本戦の予想を外しました。
「タコの予知は百発百中というわけではありません。単なる占いに過ぎません。当たったのは偶然です。」
よかった、よかった・・・
果たしてそうだろうか。それはあまりに自分勝手な帰結なのではないか。
前回の仮説のように、もし仮に、タコが人間の余興に過ぎないサッカーの試合を当てることができるのなら、おそらく人間の気持ち、アストラル体、想念、感情の残留と言ったものが読めるという仮説が立つだろう。
もしそういうものが読めるとした、その水槽には、先のリーグ予選をすべてあてた一代目ラビオ君の気持ちも残っており、二代目君はそれを読むこともできることになるだろう。一代目は、人間の嗜好に付き添い、彼らの希望する試合結果を正しく告げることに成功した。そして、「お前はお役御免だから出荷するよ」という人間の気持ちも、ちゃんと仕事をしてやったのに評価してくれなかった初代ラビオの無念も感じ取ることができるだろう。
もしそうなら、二代目君が、人間どもの気に入る結果を出す必要はない。先代はそれで殺された。俺がそんなやつらに親切にしてやる必要はあるまい。そう思っても不思議ではない。
なんでも昔ばくち打ちが絶対に勝ちたいときには犬の念力を使ったそうだ。犬を首まで土に埋めて、その前に首を伸ばしても届かないところに餌を置く。犬は食べたくても餌を食べることができない。それで、「明日必ず俺を勝たせてくれ。勝たしてくれたら飯をやる」というわけだ。
自分としては、相手が全く自分と違う生物だからと言って、ちゃんと仕事をしてくれたら筋を通せ、と言いたい。
元々食用として漁で捕まえたタコを、タコのパウル君のように、タコには新たにどれだけの能力があるのだろうかと、漁師さんは興味がなかったのでしょうね。
タコはどれも一緒ではなくて、タコにも個性があると思います。
初代ラビオ君が、まさか茹でダコになっていたなんてショックでしたし、初代ラビオ君がどこまでの能力があるのかを、ワールドカップの最後まで見たかったですね。
もしも、茹でダコにならないでサッカーの予想を最後まで当てているのならば、何かの経済効果があったかもしれませんし、世界中から注目を浴びていたかもしれません。
タコも感情がある生き物のようですね、どんなにいい結果を出しても褒美を与えてくれなければ、やる気が出ないですよね。
タカコさん、こんにちわ。
そうか、パウル君のときは、漁で取れて出荷されるタコではなく、卵から大事に育てられたタコだったのですね。
やはり面白半分ではタコに気の毒だというのは私も同じ考えです。