ヨガナンダ師は少年時、懐疑的な兄から、列車の切符を渡され「そこまで神を信じるなら、金を一銭も持たずにアグラ見物をして来い。途中で空腹になってもいけない。立ち往生してもいけない。」という挑戦を受けて、それを受けて立った。この時もう一人の少年が証人として立ち会ったが、この人は金を取り上げられてしまって、不安で不安でヨガナンダに当たるのである。
ところが、あにはからんや、アグラにつくとある王子様の饗宴が予定されていたが、王子様が突如来られなくなったということで、この王子に代わってヨガナンダと証人の少年に大変なごちそうがふるまわれる。証人の子は思いがけない成り行きに泣き出してしまった。しかし、この食事が終わるとまた不安が少年を襲ってきた。そこでまだ小さなヨガナンダは「君は腹がくちくなるとすぐに神様のことを忘れるんだね」と揶揄するのである。
世界の神秘、自分のわからないことを完全に否定する人は、実は経験値というものを重視していない、と思う。事実というのは目の前で起こることだ。それを故意に無視してしまうのだ。
占いに関してだって、まじめにやってれば、「当たった!」ってことぐらいわかりますよ、普通は。別に占星術に限定しなくたって、この世に生きていて、決定的な覚えているべき瞬間って誰にでもあると思う。
ESPカード(5つの絵柄で5枚組25枚の超心理学でつかわれる実験カード)をあてずっぽうに当てて当たる確率は5枚、それがずっと連続9枚で当たったという実験があり、透視能力の根拠として取り上げられる。
だが、それはただの数値だ。記録ノートに「9枚」と書かれています。だからなんだ?やってる人が、やっているときのことをちゃんと覚えていないといけないのだ。だって目の前で起こっているんだから。
そのときに血液検査をしたらなんとかという成分が増えていました。ええ、ええ、わかりましたよ。だけどあなたが自分で当ててたのなら、どんなふうに集中していたか、どんな心でいたか、自分でわかるだろ?
3歳の時の記憶って誰でも持っているだろうか。持っている人も持っていない人もいるだろう。だけど、毎日毎日11月10日はこうだった、11月11日はこうだった、なんて覚えている人は多分いない。ある瞬間だけが大事な瞬間として思い出される、というだけのことだ。そして、昨日もそうなのです。経験が硬直化しているという以外に、3歳も成人も記憶の仕組みに根本的な違いがあるはずがない。
大事な経験ってあるはずだよ。覚えておくか忘れるか、自分が決めているんだよ。