ご依頼をいただいて、ホロスコープを吟味する。そうすると、やっぱり全部覚えていられないから本を参考にするときもある。
しかし、書籍によっては「こういう配置の人は、こうしなければならない」みたいな書き方がされているケースもある。
たとえば多くの星がミュータブルサインにある人は、周囲に流されて情動的にふるまうというようなことは、あり得るかもしれない。
しかし、そこで「信念をもって貫き通すようにしましょう」みたいなことを書いている場合もあるわけだ。
逆のケースもあるでしょうね。星の上で非常に周囲を顧みずに突っ走ってしまうようなホロスコープがあって「この時期は慎重に行動するようにしましょう」みたいな。
でも、ひょっとするとこれはちょっと違うかもね。
行動は、よい行動をするに越したことはない。ミュータブルサインだろうがカーディナルサインだろうが、スクエアだろうがトラインだろうが、よいことをすべきだし、悪いことはしちゃいけないと思う。
多分突っ走るときは突っ走るし、恋に落ちるときは恋に落ちるし、騙されるときは騙されるのだと思う。
先日電車の中で寝そべってタバコを吸っている人に注意した人が、逆切れされて暴行を受けるという事件があった。ところが電車の中にいた人は、誰もそれを止めに入らなかったらしい。
そこで止めに入ったらけがをするかもしれない。だけど、やっぱりそこは何かしなきゃいけなかったんじゃないかと思う。自分がその場にいてやったか・・・わからない。自分も逃げただろうか。
それに占断時、いわゆる悪いことを暗示するアスペクトだったとしても、それが良い方に出ないとは限らない。本を見て「このときに金の貸し借りに注意しろ」と書いてあるということは、逆に言うときっとそういうときには金の貸し借りが必要なことが起こる。それ、身を亡ぼすようなことをしちゃダメだけど、たとえ損をする分でも、そこは貸し借りするようになっていたと考えられません?
で、本には「こうしましょう」と書いてあっても、自分の占断のときには極力そういう風にはいわないようにしている。「こういうことが起こるかもしれません」というにとどめている。
それで、「ここでこの悪い運勢から逃れたい」みたいなことは、今日の1cmで何とかしよう。今日1cm良いことをする。今日1cm神様にお祈りをする。今日1cmお勉強したりためになることをする。それしか仕方がないと思うんです。それでいざその困難にぶつかったときに、その今までの1cm、1cmの積み重ねが1mにも2mにもなって、危ない運命を避ける選択をさせる。自分的にはそんな感じなんですよね。
でも、それは私の考え方で、あるいは誰か「いやいやそういうもんじゃないよ」と仰る方もあるかもしれません。「この時期に知り合った人と結婚しちゃダメだよ」「この時期にお金の貸し借りはしちゃダメだよ」とか。
どうでしょうかね。