占星術をやっている人、運命論者、いろんな人がいて、多分それぞれの人がどの程度未来というものが決まっているかについて、それぞれのお考えをお持ちなのだろうと思う。
占星術をやって未来を当てる、というのは、これはこれで占星術師のやるべきことだと思います。しかし、そういう技術があるということと、そこから「じゃ、こうなってるはずだ」というのを導き出すのでは、多分いくばくかの差がある。
ただ、こういうことを知っておく必要はあると思う。
たとえば福音書でキリストは十字架に架かる前にペテロに対して、鶏が鳴く前に三度私のことを知らないというだろう、と仰った。そしてそうなった。
多分そこでは景色が見えていると思う。
ヨガナンダ師が「あるヨギの自叙伝」のなかで、師匠さんであるスワミ・スリ・ユクテスワについて記述している。以下記憶で書いているので間違っていたらごめんなさい。
彼らはカシミールに行き、いちごを食べた。いちごはヨガナンダ師、当時はムクンダという名前だったわけだが、ムクンダ少年にはすっぱすぎておいしくなかった。
「先生、いちごはずいぶん酸っぱい果物ですね。私は好きになれそうにありません。」
するとユクテスワ師は答えた。
「大丈夫、好きになるよ、アメリカに行ったら。あるご婦人がお前にいちごを振舞ってくれる。お前はそこで、いちごってこんなおいしいものなのですか!というに違いない」
ヨガナンダ師はサンニャーシ(出家)になり、何年も後にアメリカにヨガを伝道に行った。そこであるご婦人が「このいちごは酸っぱいようですね。砂糖と練乳で味を調えて差し上げましょう」といちごを提供し、ヨガナンダ師はそれを口にして「いちごってこんなおいしいものなのですか!」と叫んだ。と同時に何年も前にカシミールでユクテスワ師が言ったことが記憶の底からよみがえったとヨガナンダ師は述懐している。
だから、かなり決まってるのは間違いないと私は思うんです。
占星術が言えるのは大抵の場合、もう少し漠然としたことです。「何年先にご主人との間で問題が起こるかもしれませんね」それ、多分当たる。
でも、仮に当たったとしても「あなたがこれこれに気を付けていないと、口をついて出た○○という言葉によって、ご主人の気持ちはあなたから離れてしまうでしょう」というようなことは占星術の範囲では多分言えない。
でも、預言者の範囲では、光景まで見えているわけですよ。
だからあなたがかなり占星術に習熟して、人々から頼られるようになったとしても、あなたがわかっていることはほんの少しで、本当はもっともっと決まっていて、法則は細かく入り込んでいると思うんです。
ただ、同じ聖書でも、預言者が告げたことに対して言われた側が痛く悔い改めた場合に、主は「見よ、○○が悔い改めたのを見たか」といい、告げたことを撤回して彼にもたらすはずだった災厄を子孫に延期するとか、そういうことはある。つまり、聖書は絶対的にすべてが決定しているとは言っていません。
惑星の動きは変えられない。冥王星と金星が合になることは避けられない。その日そこで予定されていることは起こる。ただ、それがなんであるかは変わる可能性がある。惑星界の法則は人間界の法則より単純である。冥王星と金星が合になるだけだ。人間界でそれは起こるかもしれないが、その日右手を上げるのか左手をあげるのかまでは決まっていないかもしれない。
今日はこの辺にしておきます。