さて、このようにして第3等級の水素3から水素3072までが得られた。
この水素というのは、今の科学でいう原子という区分とは違い、いわゆる化合物を含む場合もあるし、あらゆるレベルである一定の大きさと霊的な特性を持つのだという。たとえば水の粒子というのもあり得る。ある一定の大きさより小さくなると、それは水の特性を失ってしまって、蒸気や何か違う特性を持ったものになる。
水素768は食物と定義されている。
木や鉄は食べることができない。木は水素1536に、鉄は水素3077に属している。
水素384は水である。
水素192は我々の呼吸する空気だ。
水素96は、科学でその痕跡が発見できる微妙なもの、体内で重要な役割を果たすビタミンとか、そういう物質なのだという。グルジェフの言い方では、ここでわれわれの知っている物質は終わりになる。しかし、彼らがそういう議論をしたのは100年近い昔の話で、今の学者がどう考えるのかは私はわからない。
水素48、水素24、水素12、水素6、水素3は我々が未知の物質である。しかし、一方化学で知られている元素の中に、これとの対応を指摘することができる、とも言っている。水素24はフッ素19に、水素48は塩素35.5に、水素96は臭素80に、水素192はヨウ素127に、それぞれ対応しているという。
一方グルジェフはこれらの水素を我々の内面の活動についても適合して説明した。彼は人間の頭脳活動を大きく3つ、あるいは複数のセンターという考えに分けて説明した。
思考(思考センター)は水素48で働く。動作センターは水素24で働く。スポーツ選手の素早い動きに対して、「右側にボールが飛んできたら、これをこちらに持ちかえて・・・」という風に考えながら対応していたのではとても間に合わない。思考は遅すぎるのだ。
性センターは水素12で働く。
感情センターは水素12で働くことができる。しかし、この上質の水素で働くことはほとんどない。