先日ジャガイモを蒔くのを手伝った。
種芋の丸いやつがあって、ところどころに芽が出ている。そして、芽のついたところがそれぞれの箇所にあるように小さく切って、それぞれを別々に穴に蒔いて行く。
すると、カットしたそれぞれの芋が芽吹く。
えっ?切ったのにそれぞれが芽吹くの?
ジャガイモを蒔くのは初めてじゃない。子供のときにこの手伝いはしている。普通にやっている。
これ、禅の公案にあるよ、確か。「ミミズを切ったら両方が動いている。仏性はどちらにありますか?」
今の科学・学者の考えでは命をシステムとして説明しようとしているのだと思う。からくり人形みたいな、複合機械で、カメラがあって、撮られた画像を解析する小さなコンピュータがあって、認知された画像を元にハンドルを切って動きが変わるとか、そういうものだと考えがちだ。
昔々、小さな物質が出来て、そいつが何かと関係して、細胞が出来て、複雑に大きく組みあがった何かが出来た、そういうものだと考えがちだ。
だが、もし命がそういうシステムだとすると、どこかが壊れると全部が動かなくなる。確かに生命の中でもとりわけ複雑な人間のからだは往々にしてそういうことが起こる。
しかし、芋は切っても芽が出るわけだ。命がシステムなら、そういうことにはならないはずでしょう?