まあねえ・・・いやまあ、ロシア語は勉強したりしてるんだけど、やっぱりギリシャ語はそれなりに勉強しておかないといけないだろうと思いましてね。startvというギリシャの放送局(?)が開設しているホームページがあって、ニュース番組をやっている。夕食前のニュースというのが5分か数分ということなので、それぐらいならちょっと聞いてみるか、ダウンロードしておいて車で聞いてみようか、と思ったりするわけです。どこまでどう効果があるのかしらないですよ。そんなに律儀にしてるわけでもないし。
そういえば、ここの放送局はすべてのニュース番組に手話が入るんです。なかなかいいじゃないですか。
すると、今日(しかし時差があるから6月29日の放映)でこんな字幕が目に飛び込んできた。
ΝΕΟ ΜΑΚΕΛΕΙΟ – ΚΑΜΙΚΑΖΙ ΑΥΤΟΚΤΟΝΙΑΣ ΣΚΟΡΠΙΣΑΝ ΤΟ ΘΑΝΑΤΟ ΣΤΟ ΑΕΡΟΔΡΟΜΙΟ ΑΤΑΤΟΥΡΚ ΤΗΣ ΚΩΝΣΤΑΝΤΙΝΟΥΠΟΛΗΣ
ある程度分かっていただけるだろうか。 ΑΕΡΟΔΡΟΜΙΟは空港、ΚΩΝΣΤΑΝΤΙΝΟΥΠΟΛΗΣはコンスタンチノープル、つまりイスタンブールの、ということ。「新しいテロ事件、自爆攻撃でイスタンブールのアタチュルク空港で死者が出ました」的なことが書かれているわけですけど、問題はこの自爆攻撃に当たる「ΚΑΜΙΚΑΖΙ ΑΥΤΟΚΤΟΝΙΑΣ 」ですよね。ΑΥΤΟΚΤΟΝΙΑΣは自殺ということになると思うのですけど、自殺攻撃はやっぱり「神風」と認識されているんだ・・・
ためしに「kamikaze istanbul」で検索したら、イタリア語のニュース記事は大体神風と報道してるみたい。
日本軍が爆弾を載せてアメリカの艦船に突っ込んでいったというのは、やっぱり世界的にはショッキングな出来事だったんだろうな。イスラムの人たちもテロをやるときに「神風ならいける」みたいなことを思っているんだろうか。
そうか、自爆テロって、考えてみたら特攻ですね…乗り物に乗ってない、ってだけで。背景が国か宗教かの違いだけ、というか、当時は天皇陛下が神でしたからね、同じなんですかね。まあ、神道を世界に広める為に戦争していたわけじゃないから違うのかな?
ただ、死というものに対する思いは大きく違う気がします。特攻はそれをして自分が救われるなんて誰も思ってなく、国のため家族の為に行くわけで辛い悲しいって思いですものね。
やはり違う。一緒にしないで欲しいかもです。
あめさん、こんにちわ。
同じようなことは考えました。
大方の考えとして、多分第二次世界大戦前、ほとんどすべてのアジアの国が欧米の植民地か、占領統治だったわけで、欧米の軍隊には敵わないと考える人がほとんどだったと思う。そこに日本という小国がアメリカやイギリスと対等に渡り合える武器を持って、最後には特攻で大きな打撃を与えたということは、アジアの人々にも大きな影響があったのだろうと思う。
だけど、女性の体に爆弾を巻きつけて大勢の人が集まる場所で自爆させるようなことが同じと言ってしまうのはどうかということですよね。